仕事帰り、ふと遠回りしたくなった。
駅までの道を逸れて、人気の少ない路地に足を踏み入れた。その先に銀杏並木が広がっている。
それは、どこかの有名な観光地みたいに見事な並木道。けれど、人も車もない。まるで世界から切り離されているような静けさだった。
いいところを見つけた。
銀杏の葉は、鮮やかな金色。風が吹くたびに、はらはらと葉が舞い落ちる。
足元は柔らかな黄金色の絨毯で、歩くたびにカサカサと小さな音がする。
ふいに「この道、どこまで続いているんだろう」と気になって、歩き出した。
仕事の疲れも忘れ、どこまでもまっすぐに続く並木道を歩く。しばらく歩いても、景色はまったく変わらない。
素晴らしい景色だが、少し……飽きてきた。
右にも左にも曲がり角はない。ただひたすら、金色のトンネルのように銀杏並木が伸びている。
道の両側には、古い木製のベンチがぽつりぽつりと並んでいる。時折ベンチの上に落ち葉が山盛りになっているのが、わずかに感じられる景色の変化だ。
どこまで来たんだろうか。スマートフォンを取り出して地図アプリを開こうとしたが、なぜか電波が入らない。
時間を確認しようと画面を見ると、時計が止まったままだった。電波が入らない場所なのか……それにしても時計まで止まるのは初めての経験だ。
少し不安になりながらも、「まあ、もう少し歩いたら、きっとどこかに出られるだろう」と思い直す。けれど、どれだけ歩いても風景は変わらなかった。
同じようなベンチ、同じような街灯、同じような銀杏の葉。
まるで風景がループしているような感覚。
時折、遠くで自転車のベルの音や犬の鳴き声が聞こえる気がしたが、自転車も犬も見えない。
まるで私に何かを悟られまいとごまかしているかのような、とってつけた物音だった。
秋の空はだんだん薄暗くなっていく。
通り過ぎたはずのベンチの上に、落ち葉でできた小さな山がまたあった。
「おかしいな」と不安に思いながらも、焦りはなかった。
むしろ、世界の喧騒から切り離された静けさに、だんだん心が落ち着いていく。歩き続けているうちに、どこか懐かしい気持ちすら湧いてきた。
もしかしたら、子どものころに夢で見た景色だったのかもしれない。
ふと道の脇のベンチに座ると、金色の葉が肩に落ちてきた。
その手触りが妙にあたたかい。
「ここから、どうやって帰ればいいんだろう」
口にしてみたけれど、返事をする人はいない。
でも、誰かに見守られているような気配だけが残る。
何気なくポケットに手を入れると、手のひらに硬いものが触れた。
取り出すと、それは銀杏の実だった。
さっきまでは持っていなかったはずなのに、不思議に思ってしばらく見つめていた。
そのとき、ふいに背後から優しい声が聞こえた。
「この道は人を包み込むんです」
驚いて振り返ると、見知らぬ老婦人が静かに立っていた。
「この道はね、秋が好きな人だけが見つけることができるんですよ」
「じゃあ、どうやったら出られるんでしょうか」
老婦人は微笑んで、銀杏の実を手に取った。
「この実を、ベンチの下に置いてごらんなさい」
言われた通りにしてみると、ベンチの下から冷たい風がふっと吹き抜けた。
気がつくと、目の前の並木道がゆっくりと揺らぎはじめる。
さっきまで永遠に続くようだった銀杏並木が、遠ざかっていく。
次の瞬間、私は見慣れた町の交差点に立っていた。
夕暮れの空に、かすかに銀杏の葉が舞っている。
手には、なぜか温かい余韻だけが残っていた。
帰り道、振り返ると、あの並木道の入り口はもうどこにも見当たらなかった。
けれど、秋が深まるたびに、あの不思議な金色の道を思い出す。
もしかしたら、またいつか、あの静かな世界に迷い込めるのかもしれない。
あなたももし、どこまでも続く銀杏並木を見つけたら、ちょっとだけ足を踏み入れてみてほしい。
その先に、誰にも言えない秋だけの物語が待っているかもしれません。
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