#430 銀杏並木の迷路

ちいさな物語

仕事帰り、ふと遠回りしたくなった。

駅までの道を逸れて、人気の少ない路地に足を踏み入れた。その先に銀杏並木が広がっている。

それは、どこかの有名な観光地みたいに見事な並木道。けれど、人も車もない。まるで世界から切り離されているような静けさだった。

いいところを見つけた。

銀杏の葉は、鮮やかな金色。風が吹くたびに、はらはらと葉が舞い落ちる。

足元は柔らかな黄金色の絨毯で、歩くたびにカサカサと小さな音がする。

ふいに「この道、どこまで続いているんだろう」と気になって、歩き出した。

仕事の疲れも忘れ、どこまでもまっすぐに続く並木道を歩く。しばらく歩いても、景色はまったく変わらない。

素晴らしい景色だが、少し……飽きてきた。

右にも左にも曲がり角はない。ただひたすら、金色のトンネルのように銀杏並木が伸びている。

道の両側には、古い木製のベンチがぽつりぽつりと並んでいる。時折ベンチの上に落ち葉が山盛りになっているのが、わずかに感じられる景色の変化だ。

どこまで来たんだろうか。スマートフォンを取り出して地図アプリを開こうとしたが、なぜか電波が入らない。

時間を確認しようと画面を見ると、時計が止まったままだった。電波が入らない場所なのか……それにしても時計まで止まるのは初めての経験だ。

少し不安になりながらも、「まあ、もう少し歩いたら、きっとどこかに出られるだろう」と思い直す。けれど、どれだけ歩いても風景は変わらなかった。

同じようなベンチ、同じような街灯、同じような銀杏の葉。

まるで風景がループしているような感覚。

時折、遠くで自転車のベルの音や犬の鳴き声が聞こえる気がしたが、自転車も犬も見えない。

まるで私に何かを悟られまいとごまかしているかのような、とってつけた物音だった。

秋の空はだんだん薄暗くなっていく。

通り過ぎたはずのベンチの上に、落ち葉でできた小さな山がまたあった。

「おかしいな」と不安に思いながらも、焦りはなかった。

むしろ、世界の喧騒から切り離された静けさに、だんだん心が落ち着いていく。歩き続けているうちに、どこか懐かしい気持ちすら湧いてきた。

もしかしたら、子どものころに夢で見た景色だったのかもしれない。

ふと道の脇のベンチに座ると、金色の葉が肩に落ちてきた。

その手触りが妙にあたたかい。

「ここから、どうやって帰ればいいんだろう」

口にしてみたけれど、返事をする人はいない。
でも、誰かに見守られているような気配だけが残る。

何気なくポケットに手を入れると、手のひらに硬いものが触れた。

取り出すと、それは銀杏の実だった。

さっきまでは持っていなかったはずなのに、不思議に思ってしばらく見つめていた。

そのとき、ふいに背後から優しい声が聞こえた。

「この道は人を包み込むんです」

驚いて振り返ると、見知らぬ老婦人が静かに立っていた。

「この道はね、秋が好きな人だけが見つけることができるんですよ」

「じゃあ、どうやったら出られるんでしょうか」

老婦人は微笑んで、銀杏の実を手に取った。

「この実を、ベンチの下に置いてごらんなさい」

言われた通りにしてみると、ベンチの下から冷たい風がふっと吹き抜けた。

気がつくと、目の前の並木道がゆっくりと揺らぎはじめる。

さっきまで永遠に続くようだった銀杏並木が、遠ざかっていく。

次の瞬間、私は見慣れた町の交差点に立っていた。

夕暮れの空に、かすかに銀杏の葉が舞っている。

手には、なぜか温かい余韻だけが残っていた。
帰り道、振り返ると、あの並木道の入り口はもうどこにも見当たらなかった。

けれど、秋が深まるたびに、あの不思議な金色の道を思い出す。

もしかしたら、またいつか、あの静かな世界に迷い込めるのかもしれない。

あなたももし、どこまでも続く銀杏並木を見つけたら、ちょっとだけ足を踏み入れてみてほしい。

その先に、誰にも言えない秋だけの物語が待っているかもしれません。

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