#463 人気居酒屋の凋落

ちいさな物語

うちの居酒屋「いろは」は、三年前までは本当に人気店だった。

駅前から少し離れた裏通りにある小さな店なのに、連日満席。

店長の料理の腕が良いのはもちろん、どの客にもフレンドリーに話しかける人柄も評判だった。

でも、なぜか客足が減っていった。

常連客が一人、また一人と来なくなり、新規の客もほとんど入らない。

それでも料理の味は落ちていないし、サービスも変わらない。口コミサイトの評価だって高いままだ。

それなのに、店に人が入らない。

私はアルバイトとして入って4年目になるけど、ある時期から、店の中に「何か違う空気」が流れているのを感じていた。

オープン前、掃除をしていると、誰もいないはずのカウンター席から物音がしたり、ラストオーダーを過ぎたあと、トイレの方から女性の声がしたような気がしたり。

店長に話すと決まって「気のせいでしょ」と笑われる。

「うちは古いからさ。軋んだり、音が反響したり……そろそろリニューアルでもしようかな」
 
そんなのんきなことを言っている。

ある夜、閉店後に食材の倉庫を掃除していたときのこと。業務用の大きな冷凍庫が気になった。

3年前に店が繁盛しすぎて仕入れを増やそうと増設したものだ。タイミングが悪く、ちょうどその頃から客足が落ちて、結局使用することがなく、新品で置かれたときのままだ。

撤去しないのかな……。また客足が戻ったら使うことになるだろうと気に留めてなかったが、ここまで来ると、一度どこかに撤去して、必要になったらまた運び入れた方がスペースを有効に利用できるのではないか。

そのとき、背後から店長の声がした。

「冷凍庫、どうかした?」

「いえ、使わないのに撤去しないのかなって……」

「そうだなー。そのうち、だな。あ、今日は掃除はもういいよ。時間だから上がって」

私は何となく釈然としないまま、黙って更衣室に向かった。そのとき、背中に店長の視線を感じたのは気のせいかもしれない。

次の日、霊感がある友達・沙希に相談した。

「なあ、うちの店……なんか変なんだけど」

「どんなふうに?」

「もうずっとお客さんが少なくて、あと店の中で音がしたり。店長は……別におかしいわけじゃないけど。うーん?」

昨日感じた違和感はうまく言語化できない。

沙希は少し考えたあと、「じゃ、写真撮ってきて。なんか写るかもよ」と言った。

翌日、店長が厨房に入る前に店内の写真を撮った。

カウンター、フライヤー、冷蔵庫、冷凍庫、天井……一通りスマホで撮影して、沙希に送った。

仕事が終わり、スマホを見ると彼女の着信がいくつも連なっていて驚いた。慌てて折り返す。

「……その店、すぐ辞めたほうがいい」

声が震えていた。一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「え、どうして?」

「女の人がいるよ。しかもすごく恨みを持っているみたい。写真全部に故意に写り込んできてる」

電話の向こうの沙希はめずらしく怯えていた。いつもならちょっとした心霊写真をケラケラ笑いながら解説してくれるのに。

「写真、見た瞬間、寒気がした。髪が長くて、片目だけ出してこっちを見てる」

「ちょっと、怖いじゃないか。やめろよ……」

私は自分の撮った写真をもう一度見返してみる。ごく普通の店内の写真だ。自分には何も見えない。

「写真全部、すごく嫌な感じなんだよ。すぐに消して。バイトも辞めて。お願い信じて」

沙希とは中学の頃からの知り合いで、いわゆる霊感少女みたいに目立ちたがりで「見える」と言っているわけではないことは知っていた。むしろ彼女は仲のいい数人にしか、「霊が見える」とは伝えていない。私は今回のことも含めて沙希のことを信じている。

その沙希が言うには特に店内の倉庫スペースが怪しいらしい。

「女の人が『見つけて』ってずっと言ってる」

「写真なのに?」

疑うわけではないが、送ったのは動画じゃなくて写真だ。

「写真を受け取ってから、ずっと聞こえてるの。今も」

沙希は涙声になっていた。

「わかった。明日、バイト辞めるよ」

沙希の様子に私はただならぬものを感じて即決した。

翌日、バイト先に退職を伝えに行ったところ、店の周りに規制線が引かれて、騒がしくなっていた。

結論からいうと、店長はその日に逮捕されていたのだ。

あの冷凍庫の中からは切り分けられた女性の遺体が見つかったのだという。

被害者は店長の妻・裕子さん。

ニュースで報じられた映像には、店の外に群がる記者たちと、見慣れた店の看板が写っていた。

テレビで多用された店長の顔写真は、店で見ていたおっとりとした表情のものではなく、写真を選んだ誰かの意図が透けて見えるような凶悪なものだった。

しばらくはワイドショーもこの事件ばかり扱い、さまざまな考察がSNSに流れたりした。私は特に興味もなかったので、見ないようにしていたが、それでも耳に入るくらいの騒ぎだった。

私がバイトしていたことをどうやって知ったのか、マスコミらしき人たちに事件について意見を聞かせてほしいと頼まれることも多かったが、すべて断った。

ただ不思議なのは、なぜあのタイミングで冷凍庫の遺体が見つかったのかということだ。

私は沙希が何かをしたのではないかと疑っている。

直接聞いたわけではないが、あの写真を見てから尋常ではない様子だった。私との通話の後で警察に通報していたとしても、不思議ではない。

――だとしたら沙希はもしかして、「見つけて」と言っていた女性に取り憑かれていた可能性もあるのではないか。あの事件のあと、沙希はしばらく体調を崩し、ふさぎ込んでいた。写真を送ってしまった身としては申し訳なさにいたたまれない日々を過ごしたことを覚えている。

それから何年かして、事件が完全に風化した頃、私は奇妙な噂を聞いた。「いろは」の跡地に新しい店ができたという。居酒屋ではなく、洋食バルだそうだ。

でも、その店も、半年も経たずに潰れたという。理由は客足が伸びなかったから。

「なんか、料理はおいしいし、店長も店員も感じがいいんだけど……いや、理由はよくわからないなぁ」

誰かがそう言っているのを、どこかで聞いた気がする。もしかして店長の奥さんはまだあそこにいるのかもしれない。

確かに世の中には、どうしてあの店、人が入らないんだろうと不思議に思う店がよくある。実態はそういうことなのかもしれない。

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