#465 あぜ道にいるもの

ちいさな物語

あれは、三年前の秋だった。

その日は仕事帰りで、少し遠回りをして歩いていた。空気がひんやりして、稲穂の匂いが夜風に混じっていた。

最寄り駅から自宅までの田んぼの間を抜ける道を歩いていたとき、視界の端にふわりと光るものが見えたんだ。

最初はこんな季節に蛍かと思った。けれど、違った。

稲穂のような形をした、細長い光のかたまりが、空中を歩いていた。まるで風に揺れる稲の穂先が、そのまま空を漂っているみたいだった。

信じられなくて、目をこすった。でも、確かにいる。小さな足があるように見えるし、何より動きが意思を持っている感じがした。

気味が悪いので見ていないふりをして通り過ぎようと思ったんだけど、その瞬間にそれがぴょんと跳ねるような動きをした。驚いて「うわっ」と声を上げてしまったんだ。

その瞬間、光の稲穂がぴたりと止まって、こちらを振り向いた。

いや、振り向いたという表現が正しいのかも分からない。形は稲穂なのに、確かに視線を感じた。

息を飲んだ僕の足元で「コン」という音がした。会社でもらったミント飴が落ちたんだ。

それを見た稲穂のようなものは、すっと地面に降りて、飴を拾い上げた。小さな穂先が首をかしげるように揺れた。

僕は怖くて「……あげる」と言ってしまった。

すると、稲穂が一瞬、ふわっと金色に光った。まるで笑ったように。

それからスッと消えた。――きっと疲れて幻覚を見ていたんだと思った。

でも、次の日。

会社で上司に呼ばれて、「急遽、新しいプロジェクトのリーダーを任せたい」と言われた。

びっくりした。僕なんて全然目立たない平社員だったのに、急に重要なポストに抜擢された。「おい、やるなお前」と同僚が小突く。

その日からだ。

あの変なものを、たびたび見るようになった。

夜道だけじゃなく、会社の窓の外や、通勤電車のホームでも。それだけじゃない。よく見ると、あの一体だけじゃなかった。小さな稲穂の光が、いくつも空に漂っていたんだ。

まるで群れをなして、風に吹かれるように流れていく。怖いというより、不思議な光景だった。妖精とか神様とか、そういうものなのかもしれない。

「……ありがとう」

なんとなく幸運はミント飴の礼だった気がして、小さくつぶやいたら、窓の外のそれが、また金色に光った。

それからというもの、僕の運は異常なほど良くなった。

抽選で旅行券が当たるし、株は上がるし、道で財布を拾って届ければ、お礼の品まで届いた。

最初はただの偶然だと思っていた。

でも、あの日の飴のことがある。――もしかして、あの妖精が。

試しに夜道で小さな飴玉をポケットから出して、空に向かって「ありがとう」と言ってみた。

すると、風が吹いて、稲穂がふわりとひとつ現れた。

金色の光がゆらゆら揺れ、僕の周りを一周したあと、また夜空に消えていった。

根拠なんてなかったけれど、確信していた。僕は気に入られたんだと。――だから、少し調子に乗ってしまった。

ある晩、帰り道にまた稲穂が現れたとき、僕は冗談半分で言ったんだ。

「もっと昇進したい」

その週の金曜日、本当に課長に昇進した。

次は「彼女がほしい」と言ってみた。翌週、後輩の真紀に告白された。どんどん願いが叶っていった。

いつの間にか、僕は夜道で願いをつぶやくのが習慣になっていた。

飴玉を差し出すたびに、稲穂の群れが現れ、僕を包むように光った。

けれど――そのうち気づいたんだ。何かがおかしい。最初に見たときより、稲穂の形が変わっていた。茎の部分が長く、黒ずんでいて、風がないのに常に震えている。光も金色ではなく、わずかに黒を含んだような暗い色になっていた。それでも、願いは叶う。

そんなある日、真紀が突然、転勤になった。

上司が体調を崩し、僕が代わりに部署をまとめることになった。昇進したはずなのに、なぜか息苦しかった。幸運で得たものが持続しない。

ある晩、もう一度あの妖精に話しかけた。

「……俺、なんか最近変な気がする。もしかして、お前……」

妖精とか神様のような善なるものではなく――悪いものだったのか。

その瞬間、あたりに無数の稲穂が現れた。

風もないのに、ざわざわと音を立てて揺れる。稲穂の穂先が、ゆっくり僕の方を向いた。そして、まるで声のように響いた。

「もっと、もっと、もっとほしいの?」

それを最後に、記憶が途切れた。気づいたら、病院のベッドの上だった。

どうやら車に突っ込まれて大怪我を負っていたらしい。長いこと生死の間をさまよっていたと聞いた。

まさかこれが「願い」の代償なのか。もし、もっと調子に乗って、宝くじ当選とか、起業を当てて敏腕社長になりたいとか願っていたら、死んでいたのではないか……。

今でも秋になると、あの稲穂のようなものを見かける。しかし、見えていないふりをして通り過ぎるようにしている。

飴は大嫌いになってしまい、食べるのも持ち歩くのも嫌になってしまった。

ただ、もしどうしても叶えたい願いができたら、自分はまたアレに願ってしまうのではないかと、不安でならない。

考えてみてほしい。

自分の大切な人が不治の病にかかったとき、自分が大怪我するくらいで助けられる可能性があったとしたら?

ちょっとだけお金が欲しいくらいの小さな願いであれば、代償も小さいのではないかと魔が差したり――そういうことが、ないとは言い切れないよね。

秋がくるたび、僕はポケットを何度も確かめる。何かの間違いで飴が入っていないか確認するために。

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