#489 全力バカ選手権

ちいさな物語

ことの発端は、昼休みのどうでもいい雑談だった。

「人生で一番、くだらないことに本気を出したって経験ある?」

営業の中村が唐突にそう言ったのだ。みんなポカンとしていたが、彼は真顔で続けた。

「昨日、家のティッシュ箱の残りを何秒で引ききれるか、本気で記録を取った」

笑いが起きた。「中村、暇か!」「もったいねぇよ」と口々に突っ込まれると、彼は胸を張った。

「いや、結果を言おう。88秒だ」

その数字の中途半端さが、逆に妙にリアルでおかしかった。その記録は残っていたティッシュの枚数で変動しすぎるだろう。雑かつ無意味。

「それ、記録更新とか目指すの?」

「もちろんだ。明日はさらに高みを目指す」

……その瞬間だった。総務の佐々木さんが、スッと手を挙げた。

「私も挑戦していい? 私、職場のホワイトボード消しの一番きれいな消し方、極めてるから」

笑いが二重に起きた。「何を極めてるんですか!」

だがこの会話が、後に「くだらないことに全力投球選手権」へと発展するなど、その時の誰も想像していなかった。

翌週、社内チャットに謎のスレッドが立った。

【第1回くだらないことに全力投球コンテスト開催】

ルール:
・命の危険を伴わないこと。
・とにかくくだらないことを全力でやること。
・証拠を提出すること。

参加者は自由。優勝者には「金のバカ王冠」が授与される。

……金のバカ王冠? 誰が作るんだよと思っていたら、もう経理の木村さんが金スプレーで段ボールを塗っていた。

早すぎる。

初日から、エントリーが殺到した。

営業部の田辺は、「ホチキスの針を全部まっすぐに伸ばす」という奇行で挑戦。

総務の佐々木さんは、「一日中ホワイトボードを消し続けて一番きれいな瞬間を写真に撮る」という執念を見せた。

開発部の高橋は、「自動販売機でもう1本当たる確率を手動で計算していく」とか言い出し、ジュースを大量に買い始めた。

だんだん理屈が分からなくなってきたが、妙に盛り上がっている。

昼休みには「くだらない部活動」が乱立した。

「付箋早貼り部」「輪ゴム射撃同好会」「書類の角ピッタリ対決」。

俺は最初、冷静だった。

「みんな暇すぎだろ」と笑っていた。

だが、だんだん焦りが出てきた。

——全力でくだらないことをやっていないのは、自分だけじゃないか?

人は不思議なもので、バカを見て笑っているうちに、自分もバカになりたくなる。

夜、帰宅してから俺は考えた。

「くだらないこと……くだらないこと……」

洗面所で歯を磨きながら、鏡に映る自分に問う。

「俺の全力は、どこにある?」

答えは意外と早く出た。

「そうだ、俺はペットボトルのキャップを完璧に水平に回す男になろう」

その夜、俺はありとあらゆるメーカーのペットボトルを開けては閉め、微調整を繰り返した。

翌朝、右手の親指の腹に見事な水ぶくれができていた。でも、キャップは完璧に水平だった。

俺は震える手で写真を撮り、チャットに投稿した。

【エントリー作品:キャップ職人】

「ガチすぎて怖い」「努力の方向音痴」「親指が犠牲になった」などのコメントがついた。

俺は勝ったような気がした。

そして迎えた決勝戦。

エントリーは最終的に20名。

発表会場はなぜか会議室ではなく、会社の駐車場。誰かが勝手に横断幕まで作っていた。

「燃えろ!くだらない魂!」

社員のテンションが完全におかしい。

審査は拍手制。

誰が一番くだらなかったかを、全員で決めるのだが、どう考えても雑だ。

トップバッターの田辺がステージに立ち、「ホチキス針100本まっすぐ伸ばしダンス」を披露。
拍手、爆笑、歓声。

続いて佐々木さんが、ホワイトボードを拭きながら「きれいさNo.1の瞬間」をスライドで発表。

「見て! この曇りのない白さ!」

なぜか拍手喝采。

俺はキャップを片手に緊張していた。

出番が来た。

「えー、私はキャップを水平に閉める技術で挑みました!」

会場が静まる。

俺はゆっくりと、ペットボトルを一周回した。キャップの線が、完璧に本体と一直線に並ぶ。

「おお」

「普通ちょっと斜めになるよな」

「極めてんな」

歓声。スマホのシャッター音。

俺は満足感に全身を震わせた。

そして結果発表。

優勝は——なんと——庶務の新人、斉藤。

彼の挑戦は「社内の全イスの高さを素早くそろえる」だった。瞬時にイスの個体差を見極め、経年劣化でクセのあるレバーも見事に操る技にみんな見入っていた。

くだらない。――が、圧倒的に感動させられた。

俺は拍手しながら思った。

「……負けたな」

でも、笑いながら思った。

くだらないことに全力を出せるって、くだらないのに最高に楽しい。

そして、次の瞬間。

社長が言った。

「次は全社員で全力バカリレーをやるぞ!」

くだらないことに全力出せるのは悪くないことだ。だが——俺たちの会社は、もうダメかもしれない。

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