ニュースキャスターが真顔で言った。
「本日、午後二時ごろ、紳士風の熊が市内を歩いているとの情報が入りました」
紳士風の熊。その言葉だけで違和感が爆発する。
画面には熊。スーツにネクタイ。手にはブリーフケース。
記者が近づく。
「お仕事中ですか?」
熊はマイクに向かってこう答えた。
「出勤中です」
しゃべった! そして熊が出勤している……。俺はとりあえずテレビを消した。深く考えたら負けな気がした。
しかし翌朝。出勤途中の駅前に、その熊がいた。カフェのテラス席で新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます」
思わず声をかけてしまった。「テレビで見た人だ!」とはしゃいでいるみたいで、すぐに恥ずかしくなったが、熊は振り向いて丁寧に会釈した。
「おはようございます。いい朝ですね。私は熊田といいます」
熊田……苗字(?)があるのか。しかし自己紹介が自然すぎて、熊であることを忘れる。
「えっと……お仕事は?」
「総務です」
なにがどうして熊が総務なんだろう?
「会社はこのあたりなんですか?」
「森商事という会社です。森の中の商事会社です」
丁寧にも名刺を出してくれる。
『森商事株式会社 総務課 熊田ヒグマ』
本格的だった。名刺から竹のようないい香りがするのも気になる。
その日から、なぜか俺と熊田さんは毎朝駅で顔を合わせるようになった。同じ電車。同じ車両。
満員電車の中で、熊だけ圧倒的に場所を取る。それでも誰も文句を言わない。むしろみんなが礼儀正しく挨拶していた。
「おはようございます熊田さん」
「おはようございます鈴木さん」
完全に人間社会に溶け込んでいる。
ある日、思い切って聞いてみた。
「どうして働いてるんですか?」
熊田さんは遠くを見ながら言った。
「冬眠ローンの返済がありまして」
冬眠ローン。知らない経済圏の話が始まった。
「冬眠って無料じゃないんですか?」
「寝床の確保とか、毛布代とか、意外と高いんですよ。熊ならではの出費なのでピンとこないかもしれませんが」
毎朝の熊田さんとの会話は習慣になっていった。
「ボーナスはどんぐりで支給なんです。でも最近は為替の関係で松ぼっくりのほうが価値が高くて……ちょっと参ってますね」
独特な経済感だ。やはり熊と人は違うのだな。
「うち、社長がリスなんですよ。ちょこまかしてて会議が進まない」
「なんとなく想像できますね」
普通に会話できている自分が怖かった。
一度、熊田さんからお弁当を見せてもらったことがある。竹の皮を開くと、中には鮭。いや、丸ごと鮭。付け合わせにどんぐり……。どんぐりは通貨でもあり、食料でもあるのか。
「豪快ですね」
「小食なんでこれだけです」
やはり感覚が違う……。
会社に戻ると、同僚の山本が言った。
「お前、最近熊と一緒にいるよな。噂になってるぞ」
「いや、ただの知り合いだから」
「熊が知り合いの時点でおかしいだろ」
言われてみればそうだ。
次の週末、熊田さんに誘われて森商事に見学に行くことになった。場所は本当に森の中だった。木の幹にドアがあり、「受付」と書かれていた。
入ると、社員たちは全員動物だった。キツネ、フクロウ、イノシシ、シカ。
「こんにちはー、見学の人間ですー」
誰も驚かない。むしろ拍手が起きた。
「人間の方が来社されたぞ!」
「本物のスーツだ!」
どういうテンションだ。いやいやいや、全員熊田さんのようにしゃべるのか。
会議室に案内されると、リス社長がいた。名刺に『森商事株式会社 代表取締役 リスノフ・ナッツ』と書かれていた。ロシア系?
「人間くん、我々の経済に興味があると聞いたよ」
「いや、実はあまり経済には詳しくなくて。ちょっと興味があるくらいだったんですけど、なんかすみません」
「そうか。それなら君を顧問に任命しよう」
「顧問?!」
「我々も人間くんの意見があれば、もっとうまく会社をまわせる。さあ、決断力が命だぞ」
急かされてつい承諾してしまった。社長というのも伊達じゃない。
『人間顧問』
会議が始まった。議題は『冬眠の国際化について』
フクロウが言った。
「カナダの熊たちは年中冬眠して働かない。これは経済的損失です」
リス社長が机を叩く。
「ならば、冬眠税を導入しよう!」
キツネが即座にメモを取った。税金って会社で決められるもの? しかもカナダの……。
「いいですね社長、睡眠時間課税も検討しましょう」
熊田さんが手を挙げた。
「すみません、人間界では昼寝って課税対象ですか?」
さっそく、人間顧問の出番だ。
「いいえ」
「では、課税は冬眠する種別への差別になりますよ。今は多様性の世の中です」
会議が荒れた。
シカが議事録をかみちぎり、タヌキが妖怪に化けて、フクロウが飛び回る。ついには警備員のスズメが入ってきた。
混乱の中、リス社長が叫んだ。
「我々は森を出る!」
なんで?
しかし、その場の全員が「おおおおおお!」と叫んだ。
次の瞬間、オフィスの床が盛り上がり、建物ごと歩き出した。森商事、移動開始。会社そのもの、いや森ごと動き出した。
道行く人々が叫ぶ。
「森が歩いてるぞ!」
熊田さんが僕に言った。
「すみません、こんな具合なんで来週の会議は山の上でやります」
「山って……どうやって行けば……」
「がんばって登ってください」
そう言って彼は歩いて行った。
夕暮れ、空を見上げると、森商事がゆっくりと山を登っていた。
……あれ以来、ニュースでは森商事の話題が尽きない。
「移動型企業、世界初の上場」
「動物株が爆上がり」
今日も駅前のカフェで熊田さんと会う。
「最近どうですか?」
「うーん、社内が騒がしいのでリモートに切り替えました。会社が移転してしまって通勤も困難ですし」
「テレワークですか」
「家の近くの木の上でやってます」
彼はスマホを取り出し、爪で器用にスワイプした。
画面に映ったのは、枝の上でパソコンを叩く熊田さんの姿。ちゃんとヘッドセットもしている。
「すごいですね」
「働き方改革です」
僕は笑ってコーヒーを飲んだ。


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