#500 引っ張る

ちいさな物語

重いものを引っ張っている夢を、俺は定期的に見ている。

季節に関係なく、年に三、四回ほど。体感では汗だくになっているのに、目が覚めると何ともなっていない。ただ不思議と筋肉痛にはなっている。

夢の中では、俺はいつもロープを握っている。先は見えない。一人で引っ張っていることもあれば、他にも一緒に引っ張っている人がいることもある。その人たちは知り合いではない。みんな黙ってロープを引いている。

足元は砂利道だったり、アスファルトだったり、時には海の上だったりする。風景は毎回違うのに、空の色だけは同じだ。曖昧な灰色。夕方のようで、朝のようで、なぜか夜のようでもある。

重いものを引いている感覚はある。だが、何を引いているのかはわからない。

俺はある日、夢の中で後ろの人に話しかけてみた。その日、一緒に引っ張っているのは、その人だけだった。

「俺たちは何を引いてるんですか」

その人は口をパクパクさせていた。声が出ないらしい。代わりに胸ポケットからメモ帳を取り出して何かを書いた。

『知ってはいけない』

そして次の瞬間、夢が終わった。

目が覚めてもしばらく心臓がバクバクしていた。寝ぼけたまま冷蔵庫の水を飲み、ふと見ると、手のひらにロープの跡のような線が残っていた。もちろんそんなはずはない。でも、指先も少しだけ赤かった。

あれは夢なんだから気のせいに違いない。どうせベッドの角にでもぶつけたんだろう。

それから数日後、再びあの夢を見た。

今度は雪の上を歩いていた。ロープは冷たく凍りついている。後ろにいた人が転んで、列が一瞬止まった。今日はたくさん人がいる。

前にいた男が振り向いて叫んだ。

「立て! 止まるな!」

声が異様に響いた。まるで洞窟の中にいるみたいに。

「これは何を引いてるんですか!」俺は叫んだ。男はこちらを見て、少しだけ笑った。

「未来だよ」

……未来?

「なにそれ!」

「知らないほうがいい」

まただ。いつも知らないほうがいい。でもどうしてだ?

目が覚めた。スマホのアラームが鳴っている。今日の予定欄には「歯医者」と「スーパー」と……「?」のマークがあった。誰が入れたんだ、こんなの。削除しようとしたら、アプリがフリーズした。

このとき「未来を引いている」という夢のことが、なぜか思い出された。

その夜も夢を見た。今回は町中だった。アーケード街の真ん中を、みんなでロープを引っ張っている。買い物客がこちらを見ていた。

「頑張れー!」

「もうちょっとだ!」

何を応援されてるのかわからない。隣の中年男性が言った。

「最近、引き手も見物人も増えたね」

そういえば、最近は一人で引っ張ることがなくなっていた。

「これ、どこへ向かってるんですか?」

「向こうですよ」

男は指をさした。そこには巨大な扉があった。金属のような石のような、奇妙な質感。表面には無数の文字が刻まれていた。その文字は読めなかった。

「あれを開けたらどうなるんですか」

「誰も開けたことない」

「じゃあ、なんで引っ張ってるんですか。開けないと進めないですよね」

「とりあえず引っ張るのが決まりだから」

朝。

起きたら腕がひどい筋肉痛だった。昨日、特に何もしていないのに。俺は笑った。まるで現実と夢がつながってるみたいだ。

そう思った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。インターホンを覗くと、スーツ姿の男が立っていた。肩にはロープが掛かっている。

「こんにちは。夢労連(むろうれん)の者です」

「……どこですか、それ」

「夢を引く人々の組合です。あなたはだいぶベテランみたいですね」

「ちょっと待ってください。まだこれ、夢ですか?」

「どっちだと思いますか。それはさておき……」

男は笑顔で分厚いファイルを差し出した。

「あなたが引いているものの契約内容です。ご確認を」

ファイルにはこう書かれていた。

【案件名】地球【進捗】約0.003%【参加者】約80億名【備考】夢経由で作業継続中。実体確認不要。

俺は乾いた声でつぶやいた。

「地球って……これ、全員で引いてるんですか?」

「はい。引き続けてください」

「何のために?」

「知る必要のないことです」

男は深くお辞儀して帰っていった。

それからというもの、俺は毎晩その夢を見るようになった。同じ灰色の空、同じロープ、同じ沈黙。

目が覚めると、必ずロープの感触が指に残っている。

そして今日も夢を見た。

今度は海の上。水平線の向こうに何かが見える。俺は確かに、引いている感覚を感じる。ロープの先、何かが浮かび上がろうとしている。

白い影だ。大きい。もしかして――

そのとき、全員の動きが止まった。頭の中に声が響いた。

「それを知ってはいけない」

全身が痺れ、視界が真っ白になった。

目を開けると、オフィスのデスクに座っていた。うたた寝をしていたようだ。最近、夢の中の肉体労働で体が休まった気がしない。

部長がやってきて笑った。

「おい、寝てたろ?」

「引っ張っていました」

「――だろうな」

隣のデスクでは、同僚たちが静かにロープを握っていた。床を這うようにして、一本の太いロープがオフィスの外へ伸びている。

俺は息を吸って、それを握った。

ここが夢なのか現実なのか、だんだんわからなくなっていた。

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