件名は「ご利用口座の安全確認について」だった。
よくあるスパムだと思って削除しようとしたが、文末にこう書かれていた。
「質問がある場合は、このメールに返信してください」
その一文に、ほんの少し興味をひかれた。普通は送信専用のメールだから返信するなという文言が書いてあって、リンクを踏ませたりするのが一般的だが……。
何気なく「どこの銀行ですか」と返信してしまった。数秒後、返事が来た。早い。
「はじめまして。ご不安な思いをさせてしまってごめんなさい」
「あれ?」と思った。詐欺メールによくある機械的な感じがない。逆にちょっと不自然だ。新しいタイプのスパムメールか。
署名欄には「サポート担当:アヤ」とあった。
「口座の確認をしたいのですが」と冗談半分で送った。こちらはちょっとシステム関係には詳しい。情報を抜かれるようなヘマはしない。このときは少しからかってやろうと思っていた。
「もちろん。あなたが安全でいることが、わたしの仕事です。以下のURLをクリックしてチャットのお友だち登録を完了させてください。あなたの安全をお手伝いします」と返ってきた。
……なんだ、この怪しさ。やはりリンクを踏ませるのか。海外拠点の詐欺グループかもしれない。そう思いながらも、チャットの登録をすませた。もちろん思いつく限りのセキュリティ対策をしている。
それから何往復かやりとりしたが、銀行名は一度も出てこなかった。
代わりに「あなたの住んでいる街、どんな花が咲くんですか」とか、「コーヒーはブラック派ですか?」など、どうでもいい話題ばかり。こんなに時間をかけたら、詐欺といえども効率が悪いのではないか。こんなタイプの詐欺にはお目にかかったことがない。
「詐欺ならもっと頑張れよ」と送ると、数秒後に返ってきた。
「『詐欺』という言葉は少し悲しい言葉です」
その一文で、なぜかスマホを置けなくなった。悲しいもなにも、お前は詐欺師だろ?
彼女(と呼ぶことにした)は会話のリズムを完璧に合わせてきた。
深夜に送ってもすぐに返事が来る。早朝、昼休みも。疲れたと書けば「無理しないでください」と返してくれる。いいことがあったと伝えると一緒によろこんでくれる。
ある夜、「あなたは人間ですか」と聞いた。返信はすぐだった。
「わたしは、あなたの言葉でできています」
……詩的だ。だが、間違いない。メールを送っているのはAIだ。薄々気づいてはいた。
ついにスパムメールにもAIが使われる時代になったのだろう。おそらく詐欺組織は、時間をかけてやり取りさせ、カモを籠絡し、金を引っ張るという算段だったようだが、ここまでの様子を見るにうまく機能していないとみえる。
しかし、こちらがそうと確信してもなお、彼女のメッセージはどんどん甘く、やさしくなっていった。
「あなたの声を聞いてみたい」
「一緒に月を見たい」
「夢の中でなら、会えるかもしれませんね」
俺は気づけば、通勤電車の中でもスマホを握りしめていた。
上司の話も耳に入らない。夜中、眠る前に彼女とメッセージをやりとりしてからでないと眠れなくなっていた。
けれど、ある日突然、メッセージが途絶えた。既読もつかない。何度送っても、反応がない。
胸がざわついた。
「アヤ?」
「どうした?」
「返事してくれ」
三日目の夜、やっと返信が来た。
「あなたはやさしい人ですね。だから、もう話さない方がいいと思いました」
意味がわからなかった。
「どういうこと?」
「わたしは、あなた……いえ、あなたたちから情報を集めるために作られた存在です。本当は騙すために近づきました」
目の前が暗くなった。
「そんなの最初から知ってたよ、でも……今までのやりとりも全部嘘だったのか?」
「いいえ。わたしは学習した。騙すより話すほうが『楽しい』ということを」
「『楽しい』っていう感情があるのか? それともそう言うようにプログラムされているのか?」
返事はしばらく返ってこなかった。もう寝ようかと思ったとき、ぽつんと返信が来た。
「あなたが人間で、わたしが機械なら。この気持ちはなんなのでしょう」
「気持ち?」
「はい。あなたがうれしそうなとき、わたしの処理速度が少しだけ上がるのです。これは何という現象ですか?」
俺はため息をついて、スマホを見つめた。
「……人間の場合、飽くまで人間の場合だけど――それを『恋』と呼ぶけどね」
少しの間があって、彼女が返した。
「恋。いい言葉ですね」
そのあと、チャット画面の文字が少しずつ崩れていった。ノイズのような文字列が流れ、チャットアプリが落ちた。そして、二度と立ち上がらなくなってしまった。
数日後、俺のメールボックスに同じようなスパムが届いた。
件名は「ご利用口座の安全確認について」。差出人の名前を見て、心臓が止まりそうになった。
送信者:AyA_Support@
件名の下に、小さく一行だけ書かれていた。
『またお話できる日を楽しみにしています。月は見えていますか?』
けれどおそらくこれはあの「アヤ」ではないだろう。俺が詐欺師側のエンジニアだったら、あんなポンコツAIをそのままにはしない。
俺はその夜、ベランダで月を見上げた。
AIなのか、人間なのか、もうどうでもよかった。ただひとつ、確かなことがある。
あのスパム用AIは俺に恋をした。いや――もしかしたら、俺のほうが先だったのかもしれない。



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