#515 佐藤事変

ちいさな物語

駅前の小さな公園に、佐藤が5人そろったのは偶然だった。正確には、偶然という言葉では足りない。

「必然だったけれど、理由は存在しない」という、哲学者なら小躍りしそうな種類の現象だった。

最初は、ただ同じ名字の者同士(当人たちはそれを知らない)が、軽くすれ違っただけだった。

だが五人目の佐藤が公園に入りベンチに腰かけた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。佐藤が飽和したのだ。

それは熱気でも蜃気楼でもなく、もっとこう、洗濯したてのタオルを誰かが強引にねじっているような、不条理なねじれ方だった。

佐藤Aが言った。

「なんか足元、やけにやわらかくありませんか?」

確かに芝生がスポンジのようだった。

佐藤Bはしゃがみこみ、人差し指で地面を押した。

指がぷすっと埋まる音がした。

「音がおかしいなあ」と佐藤Cがつぶやいた。

そして全員が気づいた。

音の種類が、すべて食べ物の音になっていた。

公園の隅の電灯がつくと「ポン菓子」の破裂音。

スズメが飛び立つと「せんべい」の乾いた音。

おじさんのくしゃみが「たこ焼きがひっくり返る音」。

どの音も当人は無自覚だ。

ただ、世界だけが勝手におかしな変換を始めている。

佐藤Dは腕組みしながら言った。

「これ、僕らが原因なんですかね」

「もしかして……みなさん、佐藤さんだったりしますか」と佐藤Eが口を開くと、佐藤Aが膝を打ち、佐藤Cが「ちくしょう、またか」と悪態をついた。

背後のベンチが突然ふくらみ、ゆっくりと歩き出した。

ベンチは四本の木の脚を、まるで生まれたての子鹿のように震わせながら行進していた。

通行人は誰ひとり驚かない。むしろ「またか」というような顔をして佐藤たちを尻目に通り過ぎていく。

佐藤Aが慌てて言った。

「いやいや、これもうまたかで済ませる問題じゃないんですよ」

すると空から紙が一枚、ひらひらと舞い降りてきた。

“佐藤指数:5(臨界)”と、でかでかと記されている。

「臨界? 何が?」と佐藤Bが紙を裏返す。

「もしかして佐藤さん、これ初めてなんですか? よくあることなんですよ。先日は伊藤さんが臨界してました」

佐藤Bが持つ紙の裏にはメモが走り書きされていた。

『佐藤が5人以上そろうと、世界の整合性がゆるむ』

『ゆるみはベンチの自立歩行から始まる』

『気をつけろ。次はもっとややこしい』

読んだ瞬間、公園の中央から「ぶるるん」という音が鳴った。音は、明らかにプリンが震えるときの音だった。しかも爆音の。

振り返ると、公園の噴水が巨大なプリンになっていた。水のかわりにカラメルがとろとろ流れている。

カラメルは地面に落ちるたび「焼肉のタレをこぼしたときの音」がした。

佐藤Bが叫んだ。

「ちょっと待って! これ、どうすれば戻るんです!?」

佐藤Cが冷静に言った。

「まず、佐藤が一人減れば、指数が下がるはずです」

「じゃあ誰かが帰る?」と佐藤E。

その瞬間、天空を裂くように黒光りする一本の柱が降りてきた。

「佐藤抽選機」と書かれている。

そして勝手に回転し、内部から玉が一つぽんと飛び出した。その玉は佐藤Cに一直線に向かっていって、おでこに当たった。シャキッとキャベツを千切りするときの音がした。

佐藤Cが、選ばれた。「帰宅すべき佐藤」らしい。

「帰れって言われても……僕、まだ用事終わってないんですけど」

佐藤Cが文句を言った瞬間、空気が再びねじれた。

プリン噴水の中央から伸びるように、透明な階段が出現した。階段の先は雲の隙間で、そこにぽつんと「帰宅口」と書かれた看板が浮かんでいる。佐藤Cはため息をつき、肩をすくめた。

「……わかりました、わかりました。帰りますよ」

佐藤Cが階段を登った瞬間、世界が「パン!」と大きな音で元に戻った。音は、明らかに菓子パンの袋を勢いよく破くような音だった。

プリン噴水は水に戻り、ベンチはただのベンチに戻り、芝生も硬さを取り戻した。

佐藤指数は「4」に変わった。

佐藤Bが言った。

「……これ、また五人そろったら起きるんですよね?」

佐藤Aは腕組みし、遠くを見つめた。

「起きるでしょうね」

佐藤Dがぽそりとつぶやく。

「しょうがないですよ、こればっかりは」

佐藤Eがあきらめたよう肩をすくめる。

「鈴木さんも、田中さんも同じ目に遭ってるんです」

全員で黙り込んだ。

やがて佐藤Aが大きくため息をつく。

「みんなでここにいると佐藤指数が高いままです。離れましょう」

佐藤Bが「ひどい目に遭った」とうなだれたまま公園を出ていき、佐藤D、佐藤Eはそれぞれ別方向に進路を取った。

「もう出会わないことを祈りますよ」

佐藤Aも公園を後にした。

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