#538 カレンダーの精霊が落とした一日

ちいさな物語

なあ、ちょっと聞いてくれよ。君は2019年の年末のことを覚えているかい?

世界的な感染症の流行? それもそうなんだけど、その陰に隠れて、大規模なシステム障害があったの覚えてないかな。

いや、正確には「永遠のクリスマスイブ」だったんだ。君もそうだと思うけど、当時の記憶って、どうにもモヤがかかったように曖昧になってるだろう?

政府やメディアは「太陽フレアによる大規模な障害」で片付けたが、僕は本当のことを知ってる。この目で見たんだから間違いない。

あれは本当に奇妙な出来事だった。

当時、僕は古びた私立図書館の夜間警備のバイトをしていたんだ。歴史書や古文書が山積みになっているような、古い石造りの建物さ。クリスマスイブの夜で、外は雪がちらついていた。

僕の仕事は、誰もいない館内を巡回して、空調を確認したり、窓の鍵をチェックしたりするだけ。当然、静かで暇な時間だったよ。

巡回中、僕は地下の「古書・禁書書庫」と呼ばれる場所に立ち寄った。早口言葉みたいだろ?

そこは巡回ルートには入っているものの、そんなに確認することなんてない。

仲間内では、扉をちょっと開けて見るくらいでスルーするのが慣例になっていた。中は古い天文学や錬金術の文献が集められた、埃っぽい部屋だ。

その部屋の奥の、誰も見向きもしないような高い棚の上で、光っているものを見つけたんだ。

黄色っぽい色の、柔らかい光。まるで蛍のような、そんな感じの光だった。

「なんだ、あれ?」なんて思いながら近づいてみたら、それは小さな、透明な人間の形をしていたんだ。

大きさは親指くらいかな。その背中からは、薄いセロファンのような羽根が生えていて、チカチカと点滅していた。僕は目を疑ったね。

それが、カレンダーの精霊、「エフェメラ」だったんだ。まぁ、名前なんかは後から知ったんだけど。

もちろんそのときは信じなかったよ。精霊なんて、おとぎ話の中だけの存在だと思っていたから。

そのエフェメラは、何かを探しているようだった。

「大変だ、大変だ」と、書庫中を飛び回り、かなり焦っている様子だ。

「知らないか? ×××を知らないか?」

あまりにも人間に聞き取れる音から脱していて、何を探しているのか、よくわからない。

「い、いや、知らない」

現実離れした出来事に驚きながらも、ようやく声を絞り出す。

「時間だ、時間だ」

時間と聞いて反射的に腕時計を見る。ちょうど午前0時になるところだった。

カランと何かが落ちたような音がする。

いや、厳密に言うと、それは音ではなかった。空気が震えるような……いや、もっと奇妙な、空間が「歪む」ような感覚だった。

そこに落ちていたのは真新しい紙片だった。光を放つその紙片は、床に落ちた途端、光の粒子となって砕け散り、部屋中に広がっていった。

「間に合わなかった。明日が落ちちゃったよ」

エフェメラは、落胆と絶望の表情を浮かべた――そして、僕の目の前で、光を失い、霧散してしまったんだ。

僕は呆然として、その場に立ち尽くした。

しばらくして、静かすぎる空間でよくあるような耳鳴りの音でハッとした。たぶん一瞬だけ寝ていたんだろう。そう思って警備を再開したんだ。

だが、実はこのとき世界は大変なことになっていた。

翌朝、家に帰ろうと外に出た僕が見たものは、昨日と全く同じ景色だった。雪は同じ量だけ積もっていて、車のワイパーには同じように凍り付いた氷があった。そして、街中の店のBGMは、またしてもワム!の「ラスト・クリスマス」だ。

「まあ、今日がクリスマスだしな」と、その時は思ったよ。

自宅に戻ってしばらくすると、大家さんが僕の家のドアを叩いた。

「山田君! これ、クリスマスケーキのお裾分けだよ! 昨夜は電球の取り替え手伝ってくれてありがとうね!」

大家さんの手には、昨日もらったのと同じデザインのケーキの箱。それに電球を替えたのは一昨日の話だ。

「え、大家さん。これ、昨日もらったばかりですよ?」

「何言ってるんだい、山田君……昨日は来てないよ。そんなことより、今日はクリスマスイブだからね。楽しまないと」

クリスマスイブ?

僕は時計を見た。12月24日、午前9時。スマホも見た。12月24日、午前9時。

昨日、僕は確かに24日の夜間警備を終えて、25日の朝を迎えたはずだ。なのに、また24日だって?

最初は自分が何か盛大な勘違いでもしているんだと思っていた。だが、テレビをつけたら、どの局も昨日と同じクリスマスイブ特集を流している。デパートのセールは昨日と同じ「イブ限定セール」。新聞の日付も「12月24日付」。

そして、事態は翌日も同じだった。

夜勤から戻って仮眠を取ろうとしたところで、大家さんがケーキを持ってくる。テレビではクリスマスイブの特集ばかり。

そして誰もこのループに気づかない。僕以外は普通にクリスマスイブを楽しんでいるようだった。

思い当たることといったら、エフェメラを見てしまったことだけだ。

僕だけが、この異常性に気づいていた。書庫でエフェメラが「明日が落ちちゃった」と言ったのは、このことだったのか。

僕はことの顛末を見ていたから、このループを外側から俯瞰する状況に陥ってしまったのではないか。

その日、もう一度エフェメラに会いに行った。

カレンダーの精霊は、毎日日付を入れ替えて世界を回している。だが、エフェメラは入れ替えのための大切な道具をなくしてしまい、24日から25日の入れ替えに失敗してしまったのだ。

世界は先に進めなくなってしまった。僕らは、永遠にクリスマスイブを繰り返す羽目になった――と、こういうことだった。

エフェメラはとにかく世界を動かす方法を探すと言って、チカチカと光りながらあちこち移動していた。人間の僕には何もできない。

せっかくなので、僕はこの状況を楽しむことにした。

銀行口座の残高をバカみたいに減らしたって、翌日には元通り。

街で見かけた女性に声をかけて、こっぴどくフラれたって、翌日にはなかったことに。

最初はハッピーだった。失敗を恐れず、やりたい放題できるんだからね。

だが、1週間もクリスマスイブが続くと、さすがに飽きてくる。大家さんがくれるクリスマスケーキも、3日目くらいから冷蔵庫に入れっぱなしになっていた。

「頼むから、もう『サンタが街にやってくる』を流さないでくれ!」

クリスマスソングはもう聴きたくない。

僕はもう一度エフェメラの様子を見に行った。止まってしまった日付を戻す方法は見つかっただろうか。

ところが、エフェメラは最後に見た時とまったく同じで、チカチカと光りながらあちこち移動しているだけだ。

「どうしよう。どうしよう」

あ、これはダメだ。

ここで僕は、エフェメラに任せておいても、何も解決しないことを察してしまった。

そうなると、自分で何とかしなくてはならない。

書庫の古書を読みあさったり、エフェメラにあれこれ聞いてみたり……とにかく状況を正確に把握しなくてはならない。

日付を替える正式な手続きのこと、あのとき床に落ちていた紙片、その他いろいろなことを確認した。

他の精霊に助けを求めようにも、エフェメラ自身が24日に閉じ込められてしまっているので、どうにもならないことも知った。

やがて僕は、一つの古びたカレンダーを見つける。

それは、中世の羊皮紙で作られたような、いわくありげなカレンダーだった。いつのものなのか、年も曜日も書かれていない。

よく見ると、12月の25日の部分だけ、紙の色が明らかに違っていたんだ。

なんか意味がありそうだな……。

「エフェメラ、これ」

カレンダーを見せると、エフェメラは驚いたように僕を見た。

「原本だ、原本」

「原本?」

「これを複製する」

エフェメラの説明によると、日付というのは、この原本を複製したものをカレンダーの精霊たちが日々つないでいくという形で進むらしい。あの時、エフェメラが落っことしてしまった25日をこれで複製できる――ということは、それをつなげれば元のように時間が進むのではないか。

「なんでこんなところにあるんだろう」

エフェメラは原本がここにあることを不思議がっていたが、僕はそんなことよりも、早く日付を進めてほしかった。

しかし、エフェメラは原本を広げて眉をひそめる。

「ここからここまで、ぎゅうぎゅうしてる」

「どゆこと?」

どうやら、24日を1週間以上繰り返したために、後ろの日付が詰まって圧力が生じているらしい。エフェメラによると、年明けまで「ぎゅうぎゅう」しているとのことだ。

「いや、でも進めないわけにはいかないだろ?」

エフェメラはしぶしぶという様子で原本に手をかざした。パアッと眩しい光が書庫を満たす。

気がつくと景色が変わっていた。ここは……自分の部屋だ。僕は急いで腕時計を確認した。

1月7日。

「マジかよ!」

そう、あの時、世界は「ぎゅうぎゅう」になっていた日付を一気に消化してしまって、一瞬にして年を越してしまったんだ。

僕らはクリスマスを飛び越え、正月も大晦日も経験せずに、年を越してしまった。

しかし、人々は何も気づいていない。

僕だけじゃないかな、覚えているのは……。もちろん、ループしているクリスマスイブの記憶のことだけど。

『精霊は疲弊している。人間は増えすぎた。最も期待値の高い日付は、最も落とされやすい』

これは、僕がいつの間にか握りしめていたエフェメラのメモ書きだ。

25日を落としてしまった言い訳にしか見えないが、どうやらカレンダーの精霊たちは、人間のせいで過酷な労働環境に身を置いているらしい。

つまり、僕らがクリスマスを待ち望み、過剰に期待するあまり、25日の日付が重くなりすぎ、特別な道具が必要になる場合がある。そのときにエフェメラが馬鹿……おっと失礼。エフェメラがうっかりしていると、カランと明日が落ちて壊れてしまう。

だから、ねえ、君。今年のクリスマスイブは、あんまり盛り上がりすぎるなよ。今年も落とされたら、今度はどれくらいループするかわからないんだから。エフェメラは要領がよくないみたいだから、永遠にループする可能性もあるぜ。

僕が持っている、この古びた羊皮紙の切れ端に書かれたメモ書き。これが、僕らの世界が「クリスマスイブ」を繰り返していた、たった一つの証拠なんだけど……まあ、信じられないのはわかっているよ。

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