#540 駅前でもらった飴の話

ちいさな物語

朝、駅前でおじさんが立っていた。

背中に「飴係」と書かれたゼッケンをつけていた。

「おはよう。飴いる?」

差し出された手のひらの上には、緑色の包み紙のありふれた飴玉。だが、妙に気になった。

「……なんの飴ですか?」

「秘密だ」

あやしい。そして意味がわからない。けれど、なんとなく受け取ってしまった。

家に着いてから包みを開けてみると、飴は透明だった。なめても味がしない。でも舌にじわじわと違和感が出てくる。

のどが乾いたので冷蔵庫を開けたら、突然冷蔵庫がしゃべった。

「おかえり」

僕は驚き過ぎてスマホを落とした。冷蔵庫は静かに続けた。

「君、飴なめたね」

「え、なんで知ってるの?」

「知ってるさ。だって私、飴係のおじさんだったから」

僕はゆっくりと冷蔵庫のドアを閉めた。

次の日。通学途中、犬がしゃべった。

「昨日、冷蔵庫と話しただろう」

「え、なんで知ってるの?」

「君も仲間だ」

「だから、なんで?」

犬は神妙な顔で地面に文字を書いた。

『飴の民は、なめることで世界の構造を理解する』

「ちょっと待って。どういうこと?」

「これが日常だ」

その瞬間、信号が青から赤に変わった。犬がしゃべっていても、その異変に誰も気づかない。僕だけが混乱していた。

「どうすればいいの?」

犬はハーネスのポケット(しゃれたハーネスだ)から飴玉を取り出し、渡してきた。

「なめろ」

また同じ透明な飴だ。口に入れると視界がじわりと歪んだ。

気づくと、見知らぬ教室にいた。大学のような階段教室だ。

黒板には「飴会議」と書かれている。教壇には飴細工の先生が立っていた。

透き通っていて美しい。

「今日の議題、飴がなめられすぎ問題について」

クラスメイトも全員、飴細工だった。僕だけ人間。教室中がきらきらと飴色に輝いている。

「なんで俺だけ人なんですか」

「君はまだ第二段階だ」

「段階があるんですか。なんか格闘漫画みたいですね」

チャイムが鳴る。

飴会議が終わり、授業が始まった。教科書にはこう書かれていた。

【第一章:飴の歴史】
・飴はなめられることで存在を証明する。
・なめられない飴は虚無である。

「質問!」

僕は手を挙げた。

「飴がなめられなかったらどうなるんですか?」

先生(飴)はため息をついた。

「……消滅する」

その瞬間、クラスの隅の生徒がスッと消えた。

「彼はなめられなかったんだ」

僕は冷や汗をかいた。やはり僕以外の生徒は全員飴細工だったのか。しかもなめられないと消える。恐ろしい。

あれ? 「飴がなめられすぎ問題」とか言ってなかったか。適度になめられるのが正解ということか?

昼休み、購買に行くとパンが全部飴になっていた。

「メロンパン味の飴」「カレーパン味の飴」「飴味の飴」。

「飴味の飴ってなに?」と聞くと、購買のおばちゃんが真顔で言った。

「そりゃ、飴の味さ」

怖かった。

帰り道、また駅前にあのおじさんが立っていた。

「調子はどうだい?」

「飴の世界、意味がわかりません」

「そりゃそうだ。飴だからね」

「どういうこと?」

おじさんは飴を取り出して笑った。

「君、もう気づいてるはずだよ」

「なにを?」

「飴の中に、飴があるってことに」

なにかぐるぐると回っているような感覚に陥る。飴味の飴といい、生理的な恐怖を感じる。

この世界の理屈が理解できなかった。

――そのとき、もらった飴が震え始めた。そして割れた。中から、ちいさな僕が出てくる。そのミニチュアの僕が言った。

「君、なめられてるよ」

「誰に?」

「上の世界の誰かに決まってるじゃないか」

「上の……世界?」

僕の視界がぐにゃりと曲がり、見上げると、巨大な舌が空から降ってきた。

世界がベロンと音を立てた。空が光る。

おじさんが叫んだ。

「なめすぎると世界が溶ける!」

地面がキャンディ色に溶けていく。犬が走りながら叫んだ。

「逃げろ! なめられるぞ!」

僕は全力で走った。

だが、足元が水飴になってうまく進めない。

視界の端で、建物がカラフルにねじれ、人も家も、みんな一つの巨大なキャンディに吸いこまれていった。

最後に聞こえたのは、おじさんの声。

「飴をなめる者は、飴に返る……」

そして世界がぱきんと音を立てて割れた。

――目を覚ますと、駅前に立っていた。おじさんも犬もいない。

手に飴玉をひとつ握り込んでいた。包み紙に小さくこう書いてある。

【第三段階へ ようこそ】

僕はそっと飴を口に入れた。味はしなかった。

帰って冷蔵庫を開けると、また声がした。

「おかえり」

「これ、何段階まであるの?」

冷蔵庫は黙ったまま勝手に扉を閉じた。

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