#560 夢の税務署からの呼び出し

ちいさな物語

最初の呼び出しは、寝落ちしたソファの上だった。

目を閉じたはずなのに、俺は蛍光灯の白い光の下に立っている。床は灰色のタイルで、空気は書類と鉛筆の匂いがしていた。

正面の看板に、でかでかと「夢税務署」とある。

「え?」と声が漏れた。

受付の窓口には、眠そうな顔の職員がいて、俺を見るなり番号札を押し出してきた。

「初回ですね。時間税の納税、お願いします」

「時間税って何?」と言う俺に、職員は淡々と紙を渡す。まさに役人という感じだ。

紙には俺の名前と謎のリストが載っていた。『他者から奪った時間総量』とタイトルがある。その項目はやけに具体的だった。

無駄話、遅刻、気遣いの要求、説教、過度な返信待ち、長文の愚痴、必要以上の相談。相談と称した長い雑談。

俺は笑いそうになった。

「なんなんだよ、それ? それで納税って言われてもね……」

職員は面倒くさそうにトントンとペン先で用紙を叩いている。

「あなたは他人の時間という収入を得ています。ほぼ強奪ともいいますけど。とにかくそういった収入には納税が基本です」

次の瞬間、会議室の映像が眼前に浮かび上がった。

俺が「ちょっとだけいい?」と同僚を呼び止め、結局三十分も自分の話をしている場面。

よく見ると同僚は、表面上笑顔でも目の奥が笑っていない。

映像が切り替わり、今度は恋人に送った「今なにしてる?」のLINE連投。

返信が来ないのに、さらに「あれ? 既読つかないけど?」「浮気……とかじゃないよね(汗)(汗)」と追い打ちをかけている自分。

こうして客観的に見るとやばい……かも?

「ちょっと、この目の前の映像、止めてもらえます?」

職員は深くため息をつくと、書類をめくった。

「未納分は二時間四十三分です。基礎控除があるので、本当はもっと他人の時間を勝手に搾取している状況です」

「払えません。だって時間でしょ?」と俺が言うと、職員は首を横に振った。

「払えます。夢での納付になりますから」

「ゆ、夢……?」

説明はこうだった。

奪った時間の分だけ、相手に「良い夢」を見せて埋め合わせる。夢の中で褒める、何かをあげる、相手のために仕事をする、頼まれごとを引き受ける。

現実では返せない時間を、夢で返すというのだ。

「ふざけんな」と言いかけたが、職員は俺の書類に判を押し、無慈悲に言った。

「納税せずに追徴課税で死んだ人もいますよ」

「死……? なんで?」

「督促状にも応じてもらえないので、強制的に現実の時間を差し押さえて徴収したところ、寿命を超えてしまっただけです」

「超えてしまっただけって、そ、そんな……」

「では、最初の納税は同僚の吉田さん。無駄話三十分からお願いします」

次に瞬きをしたとき、俺は見知らぬ商店街に立っていた。

販促の提灯が揺れ、夕焼けがまぶしい。やけにノスタルジックな光景だった。

通りの端で吉田さんが、少年みたいに目を輝かせて金魚すくいをしている。

次の瞬間、なぜか俺は金魚すくいの屋台の店主になっていて、声が勝手に出た。

「お、上手いですね。コツ、もう掴んでますよ」

吉田さんが顔を上げて、照れた顔をした。

「ほんと? なんか最近、褒められてないからさ」

胸がちくりと痛んだ。

現実の吉田さんは、褒められたがっていたのに、俺は自分の話ばかりの雑談で時間を奪うだけだった。吉田さんはいつも静かに淡々と仕事をする人だから気づかなかった。

夢の中の俺は、金魚すくいのポイを何枚も差し出し、吉田さんが飽きるまで付き合った。吉田さんは楽しそうに話をしながら、金魚すくいを続けた。

最後に、金魚が入った袋を差し出しながら言った。いや、言わされた。なぜか声は勝手に出てくる。

「今日の成果、持って帰っていいですよ。ちゃんと休んでください」

吉田さんが嬉しそうに頷いた瞬間、場面がサッとホワイトアウトした。

次に目を開けると、夢税務署の窓口に戻っている。

職員が判子を押した。

「納税、三十分、確かに確認しました。残り二時間十三分。明晩、徴収します」

俺は叫んだ。

「ちょっと待て。これを何回もやるのかよ!」

職員は淡々と答えた。

「未納がある限り、毎晩です。眠るたびに呼び出します」

それから毎晩納税に明け暮れた。寝ても全然休まらない。

気づけば、納税の恐怖で昼間の会話まで気になってしまう。「今ちょっといい?」と言いかけて、言葉を飲み込んだことは一度や二度ではない。

LINEの返信を催促しそうになって、あわてて指を止める。俺はあまりにも気軽に人の時間を奪って生きてきたのだと、遅れて理解した。

ある晩、税務署の壁に貼られた標語が目に入った。

『時間は取り立てるより、分け与えよ』

俺は納税で疲れていて、つい職員に食ってかかってしまった。

「夢で褒めたって、本物じゃないだろ。こんなの意味ない」

職員は初めて、少しだけ表情を動かした。

「現実の時間を徴収されるよりましではないですか。これは夢税務署の慈悲なんですよ」

俺はぐっと言葉に詰まった。追徴課税で死んだという誰かのことを思い出す。

その夜の納税先は、母だった。

俺が帰省するといって、あれこれと準備させておきながらキャンセルした。それも何度も。帰省の直前になると面倒になってしまうのだ。

夢の中で母は若く、台所で鼻歌を歌っていた。俺は不器用に皿洗いを手伝い、テーブルを拭き、食器を出す。

「めずらしいわね。別に手伝わなくていいのに」と母は不思議そうな顔をする。

俺は夢の中で謝った。このときは、きちんと自分の声が出た。

「いつも、ごめん」

母は笑って「急に何なの?」と言った。

俺は、次は絶対に帰省しようと思った。お土産も持っていこう。

税務署に戻ると、職員が判子を押しながら言った。

「良い夢でしたね。納税、一時間二十分。確かに確認しました」

残りは五十三分。

最後の相手は、昔の恋人だった。

俺が返信を待たせ、気遣いを要求し、愛情の証明を何度も求めて、疲れさせた人。

夢の中で彼女は、駅のベンチに座って空を見ていた。

俺は隣に座り、温かい飲み物を差し出した。

「今日は自慢話しないの?」と彼女は不思議そうに俺の顔を見た。

思い返せば、その彼女が話している姿をあまり思い出せない。俺はここでも自分の話ばかりして、何も聞いてあげなかったんだ。

「今日はきみのことを話してよ。バイトであったこととかさ」

彼女はにっこりと笑って、楽しそうに話しはじめた。

それだけで、五十三分が溶けるように過ぎた。

最後に彼女が言った。

「ありがとう。今までで一番楽しかった」

その一言で、俺は自分が何を奪ってきたのかをはっきり知った。

目を開けると、夢税務署の職員が書類を閉じた。

「完納です。以後、脱税には気をつけてください」

職員は初めて、ほんの少しだけ笑った。

朝、俺は現実のベッドで目を覚ました。

もしかして、現実世界で自分の時間を他人にどんどん使ってあげれば、還付とかもあるんだろうか……などと思ったりした。

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