霧が深く立ち込める古い洋館の広間で、一人の少女が優雅にティーカップを傾けていた。
彼女の名は結城アリス。この界隈では「歩く芸術品」とまで称される美少女探偵だ。
ウェーブがかった長い黒髪に、陶器のような白い肌。そして、すべてを見透かすような深い瑠璃色の瞳。
アリスがひとたび現場に現れれば、警官たちですら息をのみ、荒くれ者の容疑者も言葉を失う。
「さあ、お話ししてくださる? あなたがどうやって、あの密室から消えたのかを」
アリスが囁くと、対面に座った連続窃盗犯、通称『黒トカゲ』の男は、ぼうっとした表情でアリスを凝視した。
男はプロの窃盗犯だ。今回は密室状態の部屋で屋敷の主人の遺体が発見された事件だった。
この男の窃盗の技術を持ってすれば、この洋館の主人の殺害も簡単だったのではないかと警察は見ている。
そして肝心の男は、今やじっとアリスに見入っている。
「……隠し事は性分に合わない気がしてきたよ」
男はぽつりぽつりと、密室トリックの全貌を語り始めた。警察の見解通りの事件だった。初めは窃盗のみのつもりだったが、主人が騒いだので殺害してしまったのだという。
アリスはただ、薄く笑みを浮かべて頷いている。
その微笑みが、男にとっては最高の報酬であるかのように、彼は徐々に誇らしげな表情に変わり、罪を告白していく。
それもアリスが「すごいわ」「頭がいいのね」と、相槌を打っているからであった。
壁際で手帳を片手にその光景を見ていた助手の青年、カイトは、深く、長いため息をついた。
「……まったく」
カイトは知っている。アリスの推理能力が極めて高いことは事実だ。おそらく犯人の目星も、そのトリックも警察よりも先に気づいていた。しかし、それ以上に、アリスの美貌が暴力的なまでの力を持っていることが、犯人に災いした。
アリスに見つめられ、優しく問いかけられると、犯人たちは皆、一種のトランス状態に陥るようである。
自白することが、アリスへの愛の証明であるかのように錯覚してしまう。もはや超能力の領域だ。
1時間後、男はぼんやりとした顔をして、警察に連行されていった。なぜすべてしゃべってしまったのか、よくわかっていないような表情だ。
静寂が戻ると、アリスはそれまでのミステリアスな微笑を消し、がさつにソファへ身を投げ出した。
「ふぅ……肩凝った。この服、腰に食い込んで痛ぇんだよな。今度、ゴムのヤツ買ってきてよ」
その口から飛び出したのは、先ほどまでの鈴の音とは正反対の、低くて少しハスキーな少年の声だった。
アリスは苛立ちまぎれにカツラを少しずらし、首筋をボリボリとかいた。
「おい、アリス。もう少し慎みを守れ。誰が見てるかわからないんだぞ」
カイトが呆れたように注意するが、アリス――本名、結城有須は鼻で笑った。
「いいだろ、もうみんな警察と行っちゃったよ。ちょっと休憩していこうぜ。あ、そういやカイト、次の依頼は? この格好、キツいんだ。時給換算したら割に合わねぇ」
有須は、完璧な「女装」を武器にする少年だった。
もともと中性的できれいな顔立ちではあったが、化粧と衣装、そして徹底した所作の研究により、彼は「無敵の美少女」を作り上げ、対峙した犯人を無力化してしまう。
有須の頭脳を持ってすれば、推理力で犯人を落とすことは十分に可能だ。しかしこの方法をとっている理由は単純だ。その方がおもしろいから。
人間はあまりにも美しい少女に詰め寄られると、自衛よりも先に「近づきたい」「認められたい」という欲求が勝ってしまう。有須はその心理を冷徹に利用していた。
「お前の実力は認めるが、その性格の悪さだけはどうにかならないのか。犯人が不憫になるくらいだ」
「はっ、自業自得だろ。勝手に夢を見て、勝手に自白したんだ。俺は一言も、騙すようなことは言ってない」
有須は立ち上がり、姿見の前で自分の姿をチェックした。鏡の中には、どこからどう見ても可憐な美少女が立っている。
有須は不意に振り返り、またあの「探偵アリス」の微笑みを作ってこちらにみせた。その瞬間、それを見慣れているカイトですら息をのんでしまう。
「ははっ、お前、何だその顔。まぁ、正直、俺も時々怖くなるよ。この顔で笑えば、世界中の犯罪者がその証拠を持って駆けつけてくんじゃないかってね」
「笑えない冗談はやめろ」
数日後、新たな事件が舞い込んだ。
今度の相手は、芸術品ばかりを狙う女怪盗だ。彼女は「美しいものしか愛せない」と公言し、数々の名画を盗み出していた。
警察は状況証拠からある怪しい女が女怪盗の正体だと睨んだが、決め手となる証拠がなくて、これ以上手も足も出ない状況に追い込まれた。
その取り調べにアリス――有須が立ち合うと、状況は一変した。
女は、自分より遥かに美しいアリスを見た瞬間、激しい嫉妬と、それ以上の陶酔に支配された。
「あなたを、私のコレクションに加えたいわ。美術品として、ね」
女怪盗はうっとりとそう呟き、アリスを見つめた。自白に近い発言である。
有須は計算し尽くされた角度で首を傾げ、少しだけ困ったような、儚げな表情を作った。
「私、あなたの秘密をもっと知りたいわ」
その言葉は、美しいものを愛する女怪盗にとって致死量の甘い毒だった。
彼女は誇らしげに、警察が喉から手が出るほど欲しがっていた犯罪の証拠の在処を白状した。捕まるリスクなど、目の前の美貌に比べれば些細なことだと言わんばかりに。
事件解決後、警察署の廊下で、カイトは着替えを終えた有須と合流した。
有須はパーカーにジーンズというラフな格好に戻っていたが、それでもやはり、通行人が二度見するほどの美少年だ。
「今回の犯人は女性だったな。性別に関係なく効くのか、お前のその『呪い』は」
「呪いって言うなよ。まあ、こんなくだらない手が使えるのはそんなに長くない。使えなくなったら、俺はここで勝負するぜ」
有須は自分の頭を指さし、ポケットからリップクリームを取り出し、無造作に唇に塗る。唇がつややかに輝き、カイトは静かに目をそらした。
「さて、次はどんな馬鹿が俺の顔を見て、人生を棒に振るんだろうな」
その瞳には、知性と、それ以上の深い虚無が宿っていた。アリスが微笑むたびに、真実が暴かれ、誰かの人生が壊れていく。
名探偵・結城アリスの伝説は、これからも積み上がっていくだろう。
その土台が、一人の少年の悪趣味な嘘で塗り固められていることを、騙された犯人たちは一生知ることはない。


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