#567 会議室の完璧な存在

ちいさな物語

その機械が一般企業の会議室に普及して以来、ビジネスマンの仕事への姿勢は頭上のホログラムによって丸わかりになってしまった。

SG(スリープ・ゲージ)――脳波から睡眠欲求を読み取り、ゼロから100までの数値で可視化する装置。

それは、個人の体調管理という名目で導入されたが、実態は「やる気」を監視するための残酷な物差しだった。要するに会議中に眠い人をあぶり出す装置に成り果てたのだ。

月曜日の午前10時。

空調の効きすぎた会議室で、私はプロジェクトの進捗報告を聞いていた。

私の頭上にはSGによりホログラムのゲージと数字が浮かびあがっている。数値は「22」。

昨夜は早めに就寝したため、ゲージは穏やかな若草色を保っている。

しかし、周囲を見渡せば、会議室はまるで信号機が乱立しているようだった。

「……以上の理由から、本案の採用を検討すべきだと考えます」

若手の佐藤君が、震える声で発表を終えた。

彼の頭上には、赤色のゲージと「89」という数字が浮かんでいる。もはや起きていられるのが奇跡という状態だ。

目は充血し、まぶたは鉛でも仕込まれているかのように重たげである。

会議が始まってから2時間が経過し、彼のゲージはなおも小さく上昇を続けている。このままでは落ちる。

部長が冷ややかな視線を佐藤君のゲージに走らせる。

「佐藤君、君のやる気は随分と枯渇しているようだが? プレゼン中に寝るつもりかね」

「い、いえ! 滅相もございません。昨夜、資料をギリギリまで修正しておりまして……」

「言い訳はいい。ゲージは嘘をつかないからね」

部長が鼻で笑う。部長自身のゲージは「15」。この男は、部下に仕事を押し付けて自分だけたっぷり寝てきたのだ。

前日の二人のやりとりを会議室のメンバー全員が察してしまう。このシステムの皮肉なところだった。そんなことも知らず部長は佐藤君を嫌味ったらしくなじる。

しかし、この会議室には、もっと不可解な存在がいた。

私の隣に座っている、中途採用の木島さんだ。

彼は背筋をピンと伸ばし、一分の隙もない姿勢でメモを取っている。

その眼光は鋭く、時折核心を突く質問を投げかけ、議論を活性化させていた。

誰が見ても、この場で最も「冴えている」のは彼だった。

ところが、彼の頭上に浮かぶ数字は、あろうことか「99」を示しているのだ。

99。それは、医学的にはほぼ寝ている状態に近い。極限の眠気だ。

ゲージは赤く点滅し、周囲に警告を発している。

しかし、木島さんの顔には疲労の色など微塵もなかった。肌にはツヤがあり、言葉にはよどみがない。眠気を感じさせない、偽装のうまい人という噂は聞いていたが、彼の実力がこれほどまでとは。

私は気になって、休憩時間に彼に声をかけた。

「木島さんのゲージ……ちょっとおかしくなかったですか?」

自販機の前で、彼は穏やかに微笑んだ。飲んでいるのはエナジードリンクだ。

頭上の「99」が不気味に揺れている。

「いいえ、正常ですよ。私は今、猛烈に眠いんです。おそらく、世界中の誰よりも」

「でも、普通に発言してましたよね。どうやって意識を保っているんですか?」

木島さんは周囲を警戒するように見回し、声を潜めた。

「高田さん、コツはあらがわずに『あちら側』に半分足を踏み入れることです。あえて明晰夢の中で仕事をするイメージですね。体の動きはほぼ脊髄反射みたいなものですよ。今、実は半分くらい寝ています」

「え? そんなこと……」

人間にそんなことが可能なのか。

「ええ。眠気のゲージが95を超えると、意識のレイヤーが剥がれ始めるんです。現実という表層を突き抜けて、深層心理の海に直接アクセスできる。私は今、意識を介さずに、脳の計算リソースをそのまま言語化しているだけなんです。だからたまにおかしなことを言いますよ。今まさにおかしなことを言ってませんか?」

確かにおかしいが……。

「ところでこれが100に到達したとき、何が起こるか知っていますか?」

私は唾を飲み込んだ。

「……100パーセント眠りに落ちるんじゃないんですか?」

「普通はそうです。でも、眠気の限界を超えて覚醒し続けると、ゲージは一周して『透明』になる。そうなれば、もう夢と現実の区別はなくなるのだといいます。私は、その世界を見てみたい」

何を言っているんだ。本当に様子がおかしいぞ。これが半分夢を見ている状態ということか?

そして会議は再開された。

役員たちの退屈な演説が続き、出席者たちのゲージはみるみる上昇していく。いつものことなので役員たちは気にしていない。

佐藤君はついに「95」に達し、白目を剥いて大きく前後に揺れはじめた。

そして、木島さんの数値はついに「99.9」に固定された。

室内の照明が、一瞬、ぐにゃりと歪んだように見えた。

木島さんが立ち上がった。

「その意見には反対です」

その声は、肉声とは思えないほど澄み渡り、会議室の壁を透過して響いた。天からの声というものが存在するなら、まさにそれだという感じだった。

彼が口を開くたびに、彼の輪郭が少しずつ薄くなっていく。

私は目を見開いた。

彼の頭上のゲージが、数字を刻むのをやめ、まばゆい黄金色の光を放ち始めたのだ。

「99.9」が「100」になった瞬間、パチン、と電球が弾けるような音がした。

次の瞬間、木島さんの姿は消えていた。

椅子には彼が着ていたスーツだけが残され、中身はもぬけの殻だった。

しかし、会議室にはまだ、彼の声が響き続けている。

「……よって、このプロジェクトは、人類にとって不要であると結論づけます」

人類? 規模が圧倒的に大きくなっている。もちろんこの会議で、人類の存続について話し合っているわけではない。

誰もいない空間から、規模が大きすぎる、しかも論理的な批判に、部長も役員も恐怖で声も出せない。

木島さんも木島さんのゲージも、今や完全に透明になり、天井付近にぽっかりと穴を開けていた。空間の破れ目のような穴……。

そこから見えたのは、満天の星空だった。昼間の会議室の天井に、夜の宇宙が広がっている。

透明になったゲージの向こう側で、木島さんの意識は、もはや睡眠も覚醒も必要のない「完全な存在」へと昇華してしまったのだ。

私は、自分のゲージを見た。

「25」。

なんて退屈で、なんて重たい数字だろう。

私は急に、この現実という名の浅瀬に留まっていることが、たまらなく耐え難くなった。

机に突っ伏し、私は必死に目を閉じた。何人かが同じように机に突っ伏した。あれに惹かれない人間の方がどうかしている。

自分もあの完全な存在になりたい。そのために早く、もっと早く、数字を押し上げなければ……。

あの黄金の光の向こう側へ行くために。

部長が怒鳴る声が聞こえたが、それも次第に遠ざかっていく。

私の瞼の裏で、数字がゆっくりと、しかし確実に「100」へと向かって動き始めた。

私はカッと目を見開いた。ゲージは「99」。さて――勝負はここからだ。

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