#298 赤いコートの訪問者

ちいさな物語

「これ、ほんとに私が体験した話なんですよ。いや、信じてもらえないかもしれませんけどね、あの夜のことは今でも鮮明に覚えてるんです。」

その日は夜勤でした。

深夜2時を過ぎた頃、ナースステーションの窓をぼんやりと拭きながら外を見下ろしたんです。すると、病院の正面玄関に誰かが立っているのが見えました。

年配の女性でした。

真夜中だというのに派手な赤いコートを着ていて、それが街灯の下でぼんやりと浮かび上がっていました。こんな時間に訪問者がいるなんて珍しいと思い、受付にいる警備員さんに内線をかけました。

「玄関のところ、誰か来てますよ」

しかし、警備員さんは不思議そうな声で答えました。

「え? 玄関? いや、誰も来ていませんよ」

私は驚いてもう一度窓の外を見ましたが、確かに女性はそこに立っていました。

「いや、いるじゃないですか。赤いコートの……」

そう言いかけたところで、玄関の女性がゆっくりと頭を上げ、私の方を見ました。その顔は薄暗くてよく見えなかったけれど、なぜか目が合った気がしました。

私はぞっとして電話を切りました。すぐにまた玄関を確認すると、もうそこには誰もいませんでした。

その後、不気味な感じが拭えないまま仕事を続けました。しかし、明け方近くになると、院内で妙な現象が起き始めました。

病室から患者さんのコールが鳴るのですが、行ってみると誰も呼んでいないと言うのです。それも一度や二度ではありません。

実は、コールが鳴っても誰も呼んでなかったとか、鳴った部屋は空室だったとか、看護師の中では、いわゆる「あるある」なんですけど、その夜は、そういうこととはちょっと違ったんです。

ある病室では、患者さんが真剣な顔で私にこう尋ねました。

「さっきから廊下を歩いてる赤いコートの女性、誰なの?」

私は背筋が冷たくなりました。他のスタッフに聞いても、誰もそんな女性は見ていないと言います。しかし、何人もの患者さんが同じことを言うのです。

次の日も同じ夜勤でした。少し怖かったですが、何も起こらないことを祈っていました。でもその願いは届きませんでした。

深夜1時を過ぎた頃、急患が運ばれてきました。救急隊員が叫びました。

「〇〇山の山道で倒れていたそうです!」

「通報者は肝試しをしていた学生たち。発見した時には、すでに息をしてなかったそうです」

ストレッチャーに乗せられたその女性は、真っ赤なコートを着ていました。私は心臓が止まるかと思いました。顔を見た瞬間、昨夜玄関で見た女性だと思ったんです。

急いで処置室へ運びましたが、残念ながら彼女はすでに息を引き取っていました。

診断書には『死亡推定時刻は昨晩、深夜2時頃』と記載されました。

現場で死亡と判断できなかったから搬送されたわけですが、すでに死後1日くらい経っていたのです。こんな状況は聞いたことがありません。その場にいたスタッフたちも首を傾げています。わけがわかりません。

これは私の勘違いの可能性もありますが、あの女性は昨晩、すでに亡くなっていたのに、病院のエントランス前に現れていたのではないでしょうか。

その後も何度か夜勤をしましたが、赤いコートの女性を見かけることはありませんでした。

しかし、一つだけ気になることがありました。その女性が亡くなった夜から、深夜の院内で奇妙な現象が続くようになったのです。

エレベーターが誰も乗っていないのに勝手に動いたり、夜中に患者さんたちが何かに怯えて騒いだりするようになりました。そして、なぜかいつも、誰かが廊下を歩く足音が聞こえるのです。

警備員さんが防犯カメラを確認したところ、時々、誰もいないはずの廊下を赤い影が横切っている姿が映っていたと言っていました。

私はなぜか怖くてたまらず、ついにその病院を辞めました。こんな話のひとつやふたつ、どこの病院でもあるものです。でも、街灯に照らされてたたずむあの赤い影を思い出すと、どうしようもなく怖くなってしまうのです。

今では別の病院で働いていますが、あの夜のことを忘れることはできません。

そして先日、その病院で働いている元同僚から電話がありました。

「また出たんだよ。あんたが言ってた通り、夜中の2時、赤いコートの女性が廊下を歩いてたって。ううん、防犯カメラじゃなくて。今度は若い看護師がそれを見たらしいよ」

私は電話を切った後、窓の外をぼんやり見つめました。もちろん夜の街灯の下には誰もいません。

でも、あの赤いコートの女性が私を追いかけて来るのではないかという妄想にとらわれて、前の職場の病院の近くは、いまだに通れません。

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