#304 地底湖の夢

ちいさな物語

きみは、地底湖って聞いたことあるかい?

いや、ただの地下水や洞窟の湖じゃないんだ。本当に「誰も知らない地底の湖」の話さ。

これは、ずいぶん昔、ぼくの伯父が地下鉄工事の現場で体験した出来事なんだ。もう時効だろうって話してくれた。

そのころ、都会の真下を貫く新しい地下鉄の路線の開発工事が行われていた。人知れず、たくさんの作業員たちが汗を流していた。

伯父もその一人でね、彼はとくに腕の立つベテラン作業員だったんだ。

ある日、トンネルの掘削作業が予想外に難航した。

硬い岩盤の先で、どうしても崩れやすい地層が現れて、なかなか進まない。

不穏な空気が漂うなか、突然、ゴンッと大きな音が響いた。

崩落かと思いきや、妙に冷たい風が、トンネルの奥からふっと吹いてきたという。

「何かあるぞ」

現場監督の指示で、少人数がさらに奥まで調査に入ることになった。

伯父も薄暗いトンネルをヘッドランプの明かりだけを頼りに進んでいった。

やがて、むき出しの岩肌が現れはじめた。足元はだんだん湿ってきて、しずくの音が遠くで響く。

やがて小さな割れ目の奥に、光が反射するような場所が見えた。

「水か?」

慎重に割れ目を広げてみると、その向こうには黒い水面がひろがっていた。

それは、まるで地球がぽっかりと深呼吸しているみたいな、静かで巨大な湖だった。

ヘッドランプが照らす水面はほとんど波立たず、しかしときおり、ごくわずかな揺らぎが走る。かなりゆっくりとした鼓動のリズムのようだった。

誰も言葉を発せず、ただじっとその異様な光景を眺めた。

ふと、誰かが「人の声がする」とつぶやいた。

耳を澄ますと、確かにかすかな声が、水面の向こうから響いてくる気がする。

ざわめく水音と混ざりあい、何か古い歌のような、言葉のような……。

「幻聴か?」

「まさかガス?」

一酸化炭素や硫化水素を吸った場合、幻覚、幻聴をもたらすことがある。掘削作業中には注意が必要だ。

みんな不安になり、調査はほどほどに切り上げて、急いで戻ることになった。体調不良を訴える者はなかったので、本当にガスが原因なのかわからない。

作業は地下の調査が完了するまで、一時休止の扱いとなった。

だが、その日を境に、伯父は地底湖のことがどうしても頭から離れなくなったという。

あれは一体なんだったのか。

誰かが呼んでいたのか、それとも湖そのものが、なにか語ろうとしていたのか。仕事仲間たちも、同じように落ち着かない日々を過ごしたようだった。

中には「夜な夜な水面に白い人影が立つ夢をみる」と言い出す者までいた。

ある夜、伯父も夢の中で再びあの地底湖にいた。暗い水面の上に、無数の小さな灯りがぽつぽつと浮かんでいる。

その灯りは、遠い昔の人々の思い出や願いが水底から浮かび上がったものだと、なぜか理解できたという。

伯父は湖に近づき、「どうしてここに湖があるんだ?」と問いかけた。

すると水面に、ぼんやりと人影が現れて、静かにこう語りかけてきた。

「この湖は、長い時を経て、地下に流れ着いたモノたちの思いが集まってできたのだよ。誰にも気づかれないまま、ここに眠っている。人もいれば人でないものもいる」

目を覚ますと、伯父の心には妙な安堵があった。相変わらずあの地底湖が何なのかはわからないままだが、夢の中で聞いた説明には不思議な納得感があったのだ。

翌日、工事は地底湖を避けるルートで再開された。ガスの発生はなく、作業を続けても問題ないという調査結果が出たのだ。

ただ、地底湖について今後一切触れてはならない。家族にも言ってはならないと口止めされた。

現場の作業員たちは、あの湖は何か神聖なものだったのではないかと噂し、湖の近くでふざけたり大声を出したりするのをやめた。

朝夕にはその方角に小さく手を合わせて「今日も無事にお願いします」と挨拶するようになった。

それから不思議なことに、工事は急に順調に進みはじめ、事故もほとんど起きなかったという。

工事が終わるころには、誰もあの地底湖のことを口にしなくなった。

でも、伯父はずっと知っていた。

あの黒い水面は、今も街の真下に静かに広がっていて、誰かの足音や声に、そっと耳を澄ませているのだと。

きみも、もし夜遅くに地下鉄のホームに立つことがあったら、ふいに冷たい風が吹いたり、遠くから水音が聞こえたりすることがあるかもしれない。そしたら思い出してほしい。

この巨大な街のずっと奥深く、誰にも知られず、あの地底湖が今も眠っているってことを——。

もしかしたら今夜にも地底湖の夢をみるかもね。

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