#306 フェイス・オフ

ちいさな物語

ある晩、私が帰宅すると郵便受けに奇妙な小包が届いていた。

差出人は見知らぬ名前。送り状には「人生を変えるチャンスをあなたに」とだけ書いてある。通販か、新手の詐欺だろうか。私は疑いつつも、中身が気になって仕方なく、小包を開けてみた。

中には小さなガラス容器がひとつだけ入っていた。化粧品のようだったが、ラベルにはただ『CHANGE ME』という文字があるだけで、説明書も何もない。

翌日、会社で同僚の絵美にその話をすると、彼女は驚いて声を上げた。

「それ、都市伝説の化粧品じゃない? 顔を変えられるって噂よ。ただ、元に戻れなくなるって話もあるけど」

絵美はオカルト好きで都市伝説に詳しい。私はそんなことを信じるタイプではなかったが、彼女の言葉に少しだけ好奇心をくすぐられた。

その夜、好奇心に負けた私は鏡の前に立ち、クリーム状の中身を頬に塗ってみた。ひんやりした感触が肌に広がった途端、ピリピリとした熱が走り、驚いて目を閉じる。

ゆっくり目を開けると、鏡の中には全く知らない美しい女性の顔が映っていた。

呆然としているとスマホが震えた。絵美からのメッセージだった。

『どうだった?使ってみた?』

私は震える手で返信を打った。

『顔が本当に変わった。信じられない』

すぐに返事が来た。

『本当に? ただの噂だと思ってたのに。じゃあ、もとに戻らないってのも本当なのかしら……』

私は血の気が引いた。必死で顔を洗ったが、何をしても元の顔には戻らなかった。

翌朝、私はできるだけ念入りに化粧をして、髪型も整えた。

覚悟を決めて出勤した私は、やはり「別人だ」と驚かれたが、急な人事異動で交代になったと言って切り抜けた。あまりに異常な状況だったが、絵美が協力してくれたので、皆深くは詮索してこなかった。

数日後、別の部署のとある女性課長が体調不良でずっと休んでいるという噂を聞いた。ほとんど接点はなかったが、ちょうど自分の顔が変わった頃から休んでいたため、なんとなく気になった。

昼休み、その部署の人たちがすれ違いざまに、その女性課長の話をしていた。

「――なんか、顔が変わったって……」

「え? 浮腫んだとか、そういうこと?」

「いや、ずっと休んでるくらいだから、そんな軽いものじゃないんじゃないか」

顔が変わった? まさか――

胸騒ぎを覚え、私は帰宅後、課長の自宅を訪ねることにした。人事課に「代表してお見舞いに行きたい」と伝えたら住所を教えてくれたのだ。騙しているみたいで申し訳なかったが、この際仕方がない。

課長のマンションに着き、インターホンを押すと、ドアがゆっくり開いた。そこに立っていた女性を見て、私は言葉を失った。

そこにいたのは、まぎれもない、私自身の元の顔をした人物だった。

「あなた……誰?」

女性は震える声で問いかけた。

「課長……ですよね?」

私がそう訊くと、彼女は困惑した表情を浮かべ、小さく頷いた。

私たちは状況を整理するために部屋に入り話し合った。彼女も『CHANGE ME』を使ってしまったのだという。目を覚ましたら私の顔になっていたというのだ。要するに、同時にそれを使った者同士で顔が入れ替わってしまったのだ。

『CHANGE ME』とは、同じくらいに使用した者同士で顔をシャッフルするという、なんとも危険なアイテムだったのだ。

二人とも戻る方法がわからず、途方に暮れていると、私たちのスマホが同時に震えた。非通知で、メッセージにはこう書かれていた。

『新しい人生をお楽しみいただけていますか?もしご不満でしたら、再度ご注文を承ります』

私たちは顔を見合わせ、恐怖に震えた。元に戻すにはもう一度、同時に『CHANGE ME』を使ってみるしかないが、もしかしたらまた別の人の顔が混じり込む可能性もある。

今はあまり歳の変わらない女性二人で入れ替わっただけだが、まったく違う属性の人と入れ替わったらと思うと、恐ろしくて試す勇気がでなかった。

その後、私たちは自分の人生を取り戻すことを諦め、互いの顔で生きることを選ぶしかないと判断した。

日々は少しずつ新しい顔に馴染んでいったが、ふとした瞬間、鏡に映る知らない顔に怯え続けた。

それから数ヶ月が経った頃、再び郵便受けに小包が届いた。ラベルには、あの日と同じ『CHANGE ME』の文字。

その小包を前にして、私はただ立ち尽くすしかなかった。

注文もしていないのに。もしかして、課長の家にも?

課長と連絡を取って、もう一度、試せば元に戻れるかもしれない? それとも、また新たな悪夢の始まりなのか?

一度した決心がぐらぐらと揺らぐ。スマホにメッセージを送ってきたやつが、こうやって『CHANGE ME』を使った人間をいたぶって楽しんでいるのだ。

夜の街の静かな明かりを見つめながら、私はその小包を開ける勇気を持てないまま、長い夜を迎えた。

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