#317 背後のブロッコリー

ちいさな物語

おかしいんだ。背後霊って、もっとこう不気味なものだろ?  でも俺に取り憑いてるのはブロッコリーなんだ。しかも妙に喋る。

最初にその存在に気がついたのは、仕事帰りの電車の中だった。立っていると、首筋の辺りに奇妙な気配がする。振り返ってみても、誰もいない。だが、確かに何かがいるような感覚があった。

「気づいたのか?」

突然の声に、俺は飛び上がった。振り返っても何も見えないが、妙に近くで声がする。

「誰だ?」

「俺か?  俺はブロッコリーだ」

「は?」

ブロッコリーというのはあの野菜のブロッコリーのことだろうか。それとも変わった人名とか?

意味が分からないまま周囲を見渡すが、当然ながら車内に野菜などあるわけもない。もちろんブロッコリーさんらしき人物もいない。

混乱している俺を見て、周りの乗客は怪訝そうな表情を浮かべている。

家に帰ると、その存在はますますはっきりした。鏡を覗き込むと、俺の肩越しに緑色のモジャモジャしたものが浮いていた。

「うわっ! なんだ、これ……」

「だから言っただろ? ブロッコリーだって。あんたの背後霊さ」

そいつはくしゃっと笑うように揺れ、緑のモジャモジャが少し震えた。

「なんでお前みたいな野菜が背後霊なんだよ?」

「知らん。俺も気がついたら背後霊だった」

なんだか呆れるほどあっけらかんとしている。

それから、俺の生活は少しずつおかしくなっていった。

ブロッコリーの霊は、やたらおしゃべりだった。仕事中も耳元で話しかけてくる。

「お前、またミスしたな」

「そこはもっと丁寧に書け」

「野菜が少ない。もっと栄養バランスを考えろ」

うるさい、と思いつつも、その存在に不思議と俺はブロッコリーとの生活に慣れ始めていった。

だが、少なからず日常生活にも影響が出る。スーパーで買い物をするときは特にひどかった。

「おい、兄弟を買うなよ。気まずいだろ」

ブロッコリーを手に取ろうとすると、背後霊が意味不明の文句を言うので、面倒くさくてブロッコリーが買いにくい。

ある晩、俺はこのブロッコリーが背後にいる生活に慣れつつある自分に焦りを感じて、とうとう疑問を口にした。

「なぁ、お前さ、何のために俺に取り憑いてるんだよ?」

ブロッコリーはしばらく黙ったあと、ぽつりと言った。

「実は、本当のところ成仏したいんだ」

「成仏? ブロッコリーに成仏とかあるのか?」

「ああ。俺はもともと普通のブロッコリーだった。誰かに美味しく食べてもらいたかったのに、捨てられて腐ってしまったんだ。その無念が俺を幽霊にした」

そんなこと言い出したら、現代の先進国各地で膨大な量の背後霊及び浮遊霊が発生していることになるが――とりあえず、それは考えないようにしよう。

「じゃあ、成仏させてやるにはどうすればいいんだ?」

「俺を、美味しく食べてくれ」

「は?」

「お前が美味しくブロッコリーを食べて、俺の気持ちを晴らしてくれ。そうしたら俺は成仏できる」

俺は深いため息をついた。

翌日、俺は久しぶりにスーパーで新鮮なブロッコリーを買った。家に戻ると、ブロッコリーの霊は静かに見守っていた。

「おいしく頼むぜ」

俺は丁寧に料理を始めた。元々、料理は得意なんだ。

にんにくとオリーブオイルで炒め、香ばしく仕上げたブロッコリーを皿に盛り付ける。そこに胡椒を振りかけた。ソースも作ろうかと思ったが、ブロッコリーを主役にするならこのくらいまでがいいだろう。それでも十分に食欲をそそるいい香りがした。

背後にいたブロッコリーの霊がすぅっと料理の中に入っていく。俺の料理に取り憑いた? あまり見たくなかった。

「……いただきます」

そして一口食べた。にんにくの旨みが口いっぱいに広がる。

「うまい……!」

我ながら最高の出来だ。その瞬間、ブロッコリーの霊が明るく笑った。

「ありがとう。こんなにきちんとした料理にしてもらえて、やっと俺も満足だ」

ゆっくりと霊の気配が薄れ、やがて消えていった。ブロッコリーを完食した頃には、背後にあった気配はもう完全になくなっていた。

それから俺は毎日きちんと野菜を食べるようになった。特にブロッコリーはいつでも冷蔵庫にある。たまに買い物をしていると、ふと肩越しに小さな気配を感じる気もするが、もう何も聞こえない。成仏したのだから別の何かだろう。

でも、野菜を粗末にしたりする気持ちはもう二度と起きなかった。きっと、あいつもそれを望んでいるのだろうと思ったからだ。

そんなことを考えながら、俺は今日もフライパンの中でブロッコリーを炒める。鮮やかな緑色と香ばしい匂いが漂ってくる。

背後霊がブロッコリーだったなんて、本当に馬鹿げた話だが、不思議と今でも懐かしく思い出す。

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