それは突然、小さな村を襲った。
ある日、最初の犠牲者が出た。
農作業中だった老夫婦の夫が、突然苦しみだし、その日の夜には息を引き取ったのだ。
死因はわからず、村でただ一人の医師である私も首をかしげるばかりだった。
ただ、死の間際に彼の体には不気味な赤い斑点が浮かび上がっていたという。
それから一週間も経たないうちに、次々と村人たちが同じ症状を訴え始めた。
体中に赤い斑点が広がり、高熱と幻覚に襲われ、その日のうちに死に至るのだ。村の中は一気に恐怖に包まれた。
私は感染症の可能性があると村長に警告し、村長はすぐに村を外部から遮断した。大きな病院にも連絡を入れるべきではないかと提案したが、村長はもう少し様子を見ると判断した。今では想像もできないかもしれないが、当時は村長の家にしか電話がなかったのだ。
その間も病は止まらなかった。日が経つごとに新たな犠牲者が現れ、村人たちは次第に狂気に追い込まれていった。
「次は誰だ……?」
そんな囁きが村中に響くようになった。誰もが疑心暗鬼になり、お互いの顔を見ることすら避けるようになった。
私は、村に唯一の医師として患者たちを診ていたが、既存のどんな薬を試してもほとんど効果はなかった。小さな診療所でできることは限られている。
発病すると、患者は決まって怯えた表情で何かを指差して叫ぶのだ。
「あそこにいる! 赤い目の女がいる!」
幻覚だろうと私は考えたが、その表情はあまりにもリアルな恐怖に満ちていた。それにどの患者も同じ幻覚を見るというのはおかしな話だ。
ある夜、村の中央広場で悲鳴が聞こえた。
駆けつけると、一人の若者が広場の真ん中に倒れ、うわ言のように呟いている。
「来るな……来るな! 赤い目の女が来る!」
周囲にいた村人たちが遠巻きに見守る中、彼の体にはあの赤い斑点が広がり始めていた。
やがて彼はその場で息を引き取った。
その日を境に、村のあちこちで「赤い目の女」を見たという証言が相次いだ。
私は集団ヒステリーの一種かと疑ったが、それにしても全員の証言に奇妙な一致がある。
やがて、その赤い目の女は夜な夜な村をさまよい、目が合うと、その人間は翌日には発病して死ぬと言われ始めた。
「呪いだ。あの女の呪いだ。この村は呪われているんだ」
村人たちは次第に理性を失い、赤い目の女から逃れようと不可解な行動をはじめる。
一体この村の人たちの言う赤い目の女とは何なのだろうか。謎の病のことといい、私はますますよくわからなくなった。
そんな混乱のさなか、一人の老婆が私にそっと「赤い目の女」について教えてくれた。
「昔、この村に妖怪と呼ばれていた女がいたんじゃ。事故で顔をやけどして、それが関係しているのかどうかわからないが、赤い目をしていたよ。見た目の不気味さから、ものが盗まれたり、事故が起こったり、それどころか農作物の不作まで、その女のせいにされたもんさ。今でいうところの『いじめ』だよ。彼女は無実を訴えたが、村人たちは聞き入れず、ある日、とうとう村外れの井戸に突き落とされ、殺されたんじゃ。こんな閉鎖的な村だから、みんなが黙ってさえいれば外にバレることもなかった……」
誰も使わない古い井戸が村外れにあることは、私も知っていた。
その夜、恐怖に耐えられなくなった村人たちは井戸を訪れ、その閉ざされた蓋を開けた。
――すると、こもった生臭い空気が吹きあがり、かすかに井戸の底から音が響いた。
私には風の音に聞こえたが、村人たちは「あの女の声だ!」と、大騒ぎした。
『呪ってやる……皆殺しにしてやる……』と聞こえたと、村人たちは恐怖で逃げ惑う。それ以来、病気の進行はさらに激しくなった。
村人たちは次々と倒れ、ついに村長も倒れた。
私はこっそりと井戸の中へ入ることを決意した。
あまり信心深い方ではないが、遺骨をきちんと埋葬し供養すれば、村人たちも落ち着くのではないかと思ったのだ。
ロープを頼りに井戸の底まで降りると、湿気った空気のわりに、底の水は少なく、ただぬかるんだ泥がたまっていた。遺骨らしきものは底にはなかった。
しかし、井戸の壁面の窪みには一冊のぼろぼろの手帳が入れてあった。
手帳には「いつかこの恨みを晴らすだろう」という言葉が綴られていた。その女のものかはわからない。
女の遺骨は見当たらなかったと村人に告げればとりあえず混乱はおさまるかもしれないと、私は井戸を出る。
井戸から顔を出した瞬間、村人たちが勢揃いし、皆、私を恐ろしい目で見つめていた。驚きのあまり、ロープから手を離しそうになってしまった。
一人が私を指差して叫んだ。
「見ろ! あいつは知っている!」
「この村から出すな!」
自分の手を見ると、赤い斑点がゆっくりと広がっていた。
村人たちは狂気に満ちた表情で私を追いかけ始めた。
私は必死で逃げたが、どこへ行っても村人たちは私を追ってくる。
やがて私はまたあの村外れの井戸に追い詰められ、最後の力で井戸の中に身を投げ出した――と、見せかけて暗がりに乗じて背後の藪に身を隠し、渾身の力で大きな石を井戸に投げ込んだ。泥に石が落ちる鈍い音が響く。
私は藪の中で、息を呑んで様子をうかがった。
遠巻きに井戸を見ていた村人たちが、おそるおそる近づき、中を覗き込む。それからひそひそと話し合っていた。
気づかれるだろうか。藪の中を探されたら万事休すだ。
しかし、村人たちはしばらく話し合ったのち、井戸に重い蓋をのせ、引き上げていった。
私はほっと藪の中に倒れ込む。赤い斑点が出た腕にかゆみがあったため見てみると、なんのことはない藪蚊に刺された跡だったのだ。しかし安心して倒れ込んでいるわけにはいかない。すぐにこの村から逃げなくては。
結局、私は村での出来事を誰にも話さなかった。突然、診療所をやめて帰ってきたことをみんな不審がったが、村人たちと折り合いが悪くなったと言ったところ、深くは追及されなかった。
あの病は呪いなどではなく、恐怖と疑心暗鬼が生んだ人の心の病だったのだと、今は思っている。
それから十数年後、あの村には誰もいなくなったという話を聞いた。しかもその話の出どころは「怪談」だ。
今も時折、村はずれの井戸から小さな呻き声が聞こえるのだという。
好奇心旺盛な若者たちがその村を探して侵入しては、「怪談」として、まことしやかに語りあっているらしい。しかし、あの村で本当は何があったのか、知っている者はもはやいないのではないかという気がしている。
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