#345 最後のジョーク

SF

その日、朝から奇妙なニュースが流れていた。

科学者たちが巨大な隕石が地球に衝突すると断言したのだ。

どのテレビ局も『残り24時間』というタイマーを画面の端に表示し、街は緊張に包まれる――はずだった。

しかし、実際には奇妙なことが起きていた。

街頭に設置された巨大スクリーンでは、深刻そうな顔をしたキャスターが神妙な声で伝える。

「隕石の軌道を確認したところ、あの伝説のカレー屋の上空のようです」

「ああ、あの有名な。おいしいですよね」

「きっとあの秘伝のスパイスが隕石を引き寄せたのでしょう!」

スタジオの観客席からは爆笑が巻き起こる。天気予報の中継では人々が大笑いしながら街を歩いている様子が映し出される。隕石がぶつかるなら天気もなにもあったのものではないはずだが、街の様子を背景に週間予報が流れていく。

「逃げても無駄だから、笑おうってことか?」

俺は眉をひそめつつも、思わず口元が緩んだ。SNSを覗けば、さらにジョークが溢れていた。

「地球最後の晩餐は宇宙サイズのピザを頼んだ」

「隕石に手を振ると願いが叶うって本当?」

ネットはそんな投稿であふれかえり、人々は笑顔で『最後の日』を楽しんでいる。

不思議なほど誰もパニックにならず、ただ冗談を言い合い、笑い声が街を包んでいた。

俺はさすがに違和感をおぼえ、友人に電話をかけた。

「なあ、世界中が狂ったのか?」

友人は朗らかな口調で答える。

「いや、狂ったのは世界じゃなくて俺たち自身だろ。どうせ助からないなら、最後くらい楽しむしかないじゃないか」

「いや、でも、どこか安全なところがあるのかもしれないし……。もしかしたら、お金持ちとかはロケットで脱出してるのかもしれないぜ?」

友人はしばし沈黙する。

「――それ、知る方法あるのか?」

「え?」

「絶対安全な場所とか、誰かが地球を脱出しているとか」

言われてみれば、現状100%確実な情報を知る方法はない。公的機関が発表してくれるなら別だが、怪しげなネットの情報とか、噂話に踊らされ、奪い合い、殺し合うのがオチだろう。

俺たちはこれまでの経験から痛いほどそういうことを理解していた。

「――知る方法は……ないな。じゃあ、飯でも行くか」

結局、俺も友人と最後の食事をするために街へ出かけた。

街のレストランはどこも満員で、人々は最後の一日を大切な人と過ごしているようだった。

どのテーブルでも笑い声が絶えず、泣いている人など一人もいない。

あるテーブルでは老夫婦が若い頃の恥ずかしい失敗談を話しては大笑いしていた。

隣の家族は、隕石を題材にしたくだらないジョークを言い合っている。

「こんな平和な滅亡、ありえるのか?」

友人は肩をすくめて笑った。

「最後を笑って終わらせるなんて、むしろ人類は成長したよな」

やがて日が沈み、夜空には巨大な光が現れた。隕石は本当にやって来たのだ。

街の人々は、笑いながらその光を見上げていた。俺もつられて笑ってしまった。

「ああ、馬鹿みたいだな。世界の終わりがこんなにくだらなくていいのか?」

その瞬間、空が一瞬白く輝き、俺は全てが終わったと思った。

だが次の瞬間、俺はベッドの中で目を覚ました。自分の部屋ではない。

「え……?」

寝ぼけ眼で近くのモニターに目をやると、夢の中のニュースキャスターの男が、穏やかな笑顔で伝えている。

「皆さま、ご協力ありがとうございます。隕石の衝突はありません。では、朝のニュースをお届けします」

俺は驚いてモニターを見つめた。

画面には「結果発表! 『滅亡の日プロジェクト』人類の奇跡的な成長!」「最後の日はみんなで笑顔」と、テロップが表示されている。

これは世界各国が共同で行った人間の心理を観察する実験だった。

被験者は無作為に選出された数万人。事前に了承をとり、実験室で眠りについてもらい、作り込まれた仮想現実世界で数日を過ごし、地球最後の日を迎えたときの行動を記録するという、かなり壮大なプロジェクトだ。もちろん被験者は実験であるという記憶を消去されてから実験に臨んでいる。

「本当に人々がパニック映画のように、お互いを傷つけあって最後を迎えるのか、私は長年気になっていました」――と、ギリシャの哲学者の肖像画を実写にしたような博士が画面に映る。その表情は誇らしげだった。

続いて、別室の被験者がインタビューに答える映像が流れる。みんな、興奮気味だ。

「最高に笑ったよ。特に理由もなく、笑っていた方がいいよねって結論になったんだ」

「もちろん不安だったけど――、でもそれはみんな一緒だし」

俺は呆然としたが、次第に笑いがこみ上げてきた。世界は狂ったのではなく、むしろ強くなっていた。

俺は昨日のあの不思議な、狂気じみた一日のことを思い返して、また笑った。

翌日から、街はいつも通りの日常を取り戻した。

しかしあの滅亡の日を経験した人々は、以前より少しだけ陽気になった気がする。

俺自身もまた、ちょっとしたことくらいは笑って流せるようになっていた。何しろ世界が滅亡する直前まで笑顔でいられたんだ。

あの日交わしたジョークは、きっと全人類にとって忘れられない「最後のジョーク」だったのだろう。

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