正直に言うと、自分が死ぬのがあんなにあっけないとは思わなかった。
朝、餅を食べながらスマホで面白動画を見ていて、思いっきり笑った瞬間、餅が喉に詰まってそのまま──という間抜けな最期だった。
さすが日本で最も人を殺している食べ物だ。まだそこそこ若い自分が、そんな死に方をするとは想像すらしていなかった。
そんなこんなで、気づいたときには、大きな川を渡っていた。三途の川って本当にあるんだ。いやいやいや、マジか。マジで死んでるのか……。
しかし、たどり着いたところは真っ白な空間で、なぜかデスクとパソコンが並んでいた。何だここ? ニュータイプの地獄? 死んでも働くとか?
ひとりでパニックになっていると、銀縁メガネをかけた細身の男が話しかけてきた。
「ようこそ。ここは走馬灯編集部です。あなた、現世で動画編集やってましたね? ちょうど走馬灯の編集作業員が欠員してたんです」
状況がまるで飲み込めない。やはり死んでまで働かなきゃいけないのか? と内心ツッコミを入れつつも、「まあ、動画編集は得意分野だし……」と半分ヤケで了承した。
任されたのは、「走馬灯ムービー」の編集だった。
走馬灯──つまり人が死ぬ瞬間に見る、あの人生ダイジェストムービーだ。
それをより感動的に、よりドラマチックに仕上げるのが、僕の死後の仕事らしい。駄洒落じゃない、マジなんだよ。
最初に担当したのは八十代のおばあちゃんの走馬灯。
素材フォルダには、幼い頃の白黒写真、運動会、結婚式、孫とのツーショットと、さまざまなものがある。
「人生の山あり谷ありをぎゅっと短めにまとめて」とざっくりした上司の指示。そんな雑なクライアント、現世にはいなかったが、仕方ない。当人にヒアリングすることもできないだろうし。
期限を聞くと、おばあちゃんが死ぬまでに納品とのこと。そりゃ、死ぬ直前に見るんだからそうなるが……それはいつだ?
編集ソフトは、なぜか生前愛用していたやつとまったく同じ。某社の有名ロゴがパクリでなければ、だが。
しかし、エフェクトには「思い出フィルター(セピア)」とか「懺悔BGM」とか、作業フィールドには「死ぬまでカウンター」などの見慣れない機能も搭載されていた。
夢中で作業していると、まるでおばあちゃんの人生を追体験しているような気がしてくる。
山場は若いときのおじいさんとの思い出か、孫たちとの触れ合いか、どうしようかと迷ったが、もう一度丁寧に素材に目を通して、二つとも却下した。
農家を営むおじいさんと大事に育てた桃畑、桃の収穫のために手を伸ばしたおばあさんの視界に、さっとオレンジ色の朝日が差し込んで――「ああ、きれいな朝日」と、手をとめる。
そんなシーンで走馬灯のラストを飾った。
おばあさんは何気ない日常を本当に愛していた。すべての素材に目を通した自分にはわかる。
後日、そのおばあさんが亡くなったことを知らされた。初仕事だったのでわざわざ上司のメガネ男が連絡をくれたのだ。
「おばあさん、本当に感動してたよ。素晴らしい走馬灯だったって。直接、お礼を言いたいってえらいこと粘られたけど、ルール上難しくてね。とりあえずそれだけ伝えとくよ」
この連絡にはさすがにジーンときた。
でも、この仕事は一筋縄ではいかない。
中には、人生が波乱万丈すぎてまとめきれない人もいる。
たとえばこんな人たち――「基本浮気ばかりしてました」、「全体的にサボりすぎました」、「特に何もなかった。人生のピークはUFOキャッチャーで巨大ぬいぐるみ取った瞬間くらい」
それでもみんな「一番自分らしい瞬間を見て終わりたい」と願うはず。
僕はなるべくその人の価値観を考慮した、その人らしいエンディングを心がけた。
失敗してしまった瞬間や、ひどくショックを受けたシーンをわざと入れて、その後の立ち直った自分をより効果的に見せる演出をした。
周りを大切にしていた人には、寄せ書きのように家族や友だち全員の言葉が素早く切り替わるような演出を入れた。ベタかもしれないが、一瞬でたくさんの人を思い出せる。
しばらくすると、上司のメガネ男が褒めてくれた。
「いいねえ、きみは顧客満足度トップクラスだ」
満足度ってなんだ? ――けど、間違いなくやりがいを感じる仕事だ。
ある日、メガネ男のさらに上の上司が「噂の新人の腕前を見たい」と訳のわからないことを言い出した。
「自分自身の走馬灯を編集して見せてください」
自分の人生を、自分で編集する?
確かに規定では走馬灯を見られるのは当事者と編集者のみだ。プライバシーの観点から部外者には閲覧権限がない。
そのため、編集者自身の走馬灯を作らせて編集技術を確認するというのは、この業界ではよくあることらしいが……。
子どもの頃、夢中で描いた漫画や、親友とケンカして泣いた夜。映画部に所属して、初めてパソコンで動画を編集した高校時代。失恋やうっかり死んじゃった朝まで、全部が詰まっている。
どこを山場にするか、どのシーンをラストに持ってくるか。悩みながらも、ちょっとだけ過去の自分を愛おしく思えた。
しかし完成したムービーを再生して見ると、演出は陳腐だし、さして面白味はない。それぞれのカットは悪くないのだが、どこか他人事めいた白々しさが鼻につく。あえて自分を客観視しようとした痕跡だろう。
やはり、自分の走馬灯を作るのは難しい。これはとても納品できるような出来じゃない。
よく考えたら自分は、対象者に喜んでほしくていろいろと考えて作業していた。自分の走馬灯ではあまりやりがいを実感できない。
メガネ男にはそう言って通常業務を再開させてもらった。メガネ男の上司は「噂ほどたいした新人じゃないよな!」と怒っていたらしいが、知ったことではない。
僕は今日も誰かの人生のエンディングを彩る走馬灯を作り出す。不思議な仕事だけど、案外悪くない。
さて、きみの走馬灯、僕が編集する日が来たら、どんな場面を入れてほしい?
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