#379 虚無ガチ勢の夏

ちいさな物語

「ガチ勢」って言葉、最近よく聞くだろう?

どんな趣味でも、必ずガチな人がいる。釣りガチ勢、アイドル追っかけガチ勢、猫吸いガチ勢、断捨離ガチ勢。だが、僕の隣に住んでいたあの人は一味違った。

「俺は虚無ガチ勢だ」と堂々と名乗るその男、村瀬さん。

最初は冗談だと思った。虚無にガチで挑むなんて、何をするのかまるで想像もできなかった。

僕はごく普通のサラリーマン。毎朝同じ時間、コンビニコーヒー片手に会社へ行き、日々をやり過ごす。正直、日常にちょっとだけ退屈していた。

ある日の夕方、ゴミ捨て場で村瀬さんにばったり会った。

こちらは「暑いですね」みたいな普通の話題を振ったはずなのだが、「今から虚無を極めに行く」とか言い出したので驚いた。

「それってどういうことですか?」と聞いてみると、彼は満面の笑みで答えた。

「何もしない。その瞬間に、全力で向き合う。これが虚無道だ!」

なんだそれ。何もしないことに、どうやって全力を注ぐんだ。僕は失礼ながらぽかんと口を開けてしまった。

しかし、その夜から、僕の好奇心は止まらなくなった。村瀬さんは一体何をしているんだ。

翌週の日曜、僕は意を決して村瀬さんの部屋を訪ねてみた。インターホンを押すと、すぐにドアが開く。

「来たな、虚無見学ガチ勢」と、彼は歓迎ムード全開だ。まだ見学したいとは言っていないが、見学して欲しそうである。

部屋の中はほぼ無音。冷蔵庫のうなりもエアコンの稼働音もない。家具も最低限。テレビもラジオも、観葉植物すらない。

壁のカレンダーは無地、カーテンも白。何かを楽しむためのものが一切ない。

「なるほど虚無っぽい……」

僕は正直、息苦しさを感じた。でも、村瀬さんは満足そうな顔で、床に正座し始める。

「じゃあ始めるぞ、虚無道」

そう言うと、彼は目を閉じてじっと動かなくなった。

沈黙。

最初の三分は、何も感じない。ただの退屈だ。

五分、十分と経過するうち、だんだん「時間」の感覚が薄れていく。

遠くの車の音だけが、かすかに聞こえる。外の世界と、自分の内側との境目が曖昧になってくる。

十五分経過。

急に村瀬さんが「ハッ」と目を開ける。

「虚無の底だ……」

そう言いながら、うっすら涙ぐんでいる。

「これ、何が楽しいんですか?」と恐る恐る尋ねると、彼はこう語った。

「虚無の中には、全部がある。何もないことに全力で向き合うと、世界の輪郭が見えてくる。普通の日常も、すべてが『無』と『有』のバランスでできてるんだって、気づく瞬間があるんだよ」

どこか哲学的だが、僕はよく分からないままうなずいた。

その後、何度か彼の「虚無会」に参加することになった。

一緒に公園のベンチでじっと座る。

コンビニでおにぎりを買って、袋を開けずに虚無る。

時にはカフェの席に座って、コーヒーも頼まず一時間ただ在るだけ(追い出された)。

どこか滑稽だが、不思議な充実感があった。

ある日、僕が仕事で大きな失敗をして落ち込んでいたとき、村瀬さんは「虚無の時間だ」と言って、僕を静かな公園に連れ出した。

「さ、何も考えずに虚無るんだ。」

目を閉じて、五分、十分何もない時間をじっくりと味わう。

気づけば、不思議と気持ちが軽くなっていた。

「虚無ガチ勢、意外といいかも」と思った瞬間だった。

秋の終わり、村瀬さんは転勤で遠くへ引っ越すことになった。

「次の町でも、虚無ガチ勢を増やすよ」と、にやりと笑っていた。

彼がいなくなったあと、僕もたまにひとり虚無会をやってみる。

スマホもテレビも電源を切って、ただ部屋の中で虚無る。何もしていないのに、いや、何もしていないからこそ、心がふっと軽くなる。

今では僕も、虚無ガチ勢見習いだと胸を張って言える。今日もどこかで、村瀬さんが虚無の極みに挑んでいるかもしれない。

僕はまだそこまで到達できないが、いつかきっと村瀬さんくらい自由に虚無れるようにがんばりたい。いやいや、がんばるというのはよろしくない。虚無とは反対の行動だ。

──この世界は、有るように見えて結局は虚無。何もないということはすべてがあるということ。

人間、何かに夢中になるのもいいけれど、虚無に全力で向き合う時間も大事なのかもしれない。

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