#409 割り勘モンスター

イヤな話

聞いてくれよ。俺が前の会社にいた頃の話だ。
 
飲み会がな、とにかく気が重くて仕方がなかった。理由はひとつ――経理課の鈴木先輩がいるからだ。
 
あの人、酒も食い物も底なしでな。いわゆる食い尽くし系。乾杯するやいなや「ビール10杯! 串盛りも大盛りで!」って叫ぶんだ。
 
周りがまだお通しの枝豆をつついている間に、特盛の刺身やピザ、揚げ物がテーブルを埋め尽くす。
 
俺らが遠慮して小皿にちょこちょことサラダを取っている間に、鈴木先輩はさらに大皿二、三品は追加してる。そして食い尽くしている。
 
まあ、ここまでは「食い意地が張ってる先輩」で済むんだ。本当の恐怖は会計のときだ。
 
「割り勘だから、一人4,250円ね!」
 
満面の笑みでそう宣言する。注文の大半を平らげたのは先輩なのに、全員均等割り。「先輩だから余分に払うよ」とか「いっぱい食べちゃったからその分払うよ」とかそういう配慮は一切なしの紛うことなき均等割り。
 
「みんなで楽しんだんだから当然でしょ?」って言われると、誰も逆らえなくなる。
 
場の空気を壊す勇気、誰にもなかった。だから俺らは黙って財布を開いたんだ。それが毎回繰り返される。
 
次第に、飲み会の誘いが来ると誰もが返事をしぶるようになった。でも、本人は全く気づいてない。
 
むしろ「もっと盛り上げよう!」って張り切って企画を立てる。まさに、会社の飲み会を食い尽くして均等割りを敢行する「モンスター」だった。
 
ある日、勇気を出したのは後輩の加藤だった。
 
「先輩、少し控えてもらえませんか? 僕ら、ほとんど食べてないんで……」
 
正論だ。俺たち全員、心の中で拍手していた。
 
ところがだ。
 
鈴木先輩は大げさに目を見開いて、しゅんと肩を落としたんだ。
 
「加藤君、そんなこと言うんだ……みんなで楽しむために頼んだのに。じゃあもう飲み会、来ないほうがいいのかな……」
 
その瞬間、辺りにいや〜な空気が漂った。まるで全員で鈴木先輩をいじめているような……。空気が静かに凍っていく。
 
加藤はうつむき「いや、そこまでしなくても、いいんですけど……」と、それ以上何も言えなくなった。
 
結局、モンスターはその日も割り勘を勝ち取り、堂々と会を締めくくった。
 
俺は耐えられず、それから会社の飲み会はすべて断った。やがて転職して、ようやく解放されたと思った。
 
新しい職場の飲み会は、みんな自分のペースで飲み食いして、会計も良識ある人が取り仕切ってくれる。
 
初めて「楽しい飲み会」というものを味わったよ。
 
だが、ある日だ。駅前を歩いていたら、居酒屋の中から聞こえてきたんだ。
 
「じゃあ、一人5,300円ね! みんな平等に!」
 
その声を聞いた瞬間、血の気が引いた。恐る恐る店を覗くと、やっぱりいた。
 
鈴木先輩。
 
テーブルいっぱいの空になった皿を前にして笑顔で計算機を叩いていた。
 
周りの新しい犠牲者たちは無言で財布を開き、札を差し出していた。
 
あの男はまだ生き生きと、割り勘という名の搾取を繰り返していたんだ。俺は逃げるようにその場を後にした。
 
そして心の底から思った。
 
――割り勘モンスターはどこにでも現れる。お人好しから餌食になるのだ。食物連鎖の頂点に君臨する人類の中でもまだ食い合いが起こっている。おそろしい世の中だった。

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