#412 値上げの向こう側

ちいさな物語

「また値上げかよ……」

スーパーのカゴに商品を入れるたび、俺の溜息は深くなる。

仕事帰り、夜7時過ぎ。

自動ドアが「ピンポーン」と鳴ると、これから見るであろう値札を想像し、もうそれだけで気が重い。スーツ姿のままカゴを手に取り、いつものルートを歩く。

まず野菜コーナー。

「キュウリ3本で329円!?  前は198円だっただろ!」

手が止まる。――が、結局1本だけ買うという貧乏くさい選択をする俺。

次は牛乳。

「うわ、500mlパックが10円値上げ……。俺のカルシウムがまた削られる」

少し迷ったが仕方なくカゴに入れる。そして冷凍食品。

「俺の相棒、冷凍餃子……。お前まで20円も高くなったのか」

カゴに入れながら涙が出そうになる。財布も涙を流している。

「これは節約しなきゃ……節約メシを極めるしかない!」

そう決意した俺の挑戦が始まった。

――第一段階:虫。

え? って思うだろ?

でもな、スーパーに行くより安いんだ。何しろ無料。ベランダに飛んできたコオロギ、焼いてみたら意外と食べられる。ムカデは臭みとえぐみがあってダメだった。カブトムシはクソまずい。セミはわりとアリかも?

「これは虫の種類をきちんと選べば食糧になる……か?」

そこでちょっと調子に乗った。

――第二段階:街路樹。

駅前のケヤキ並木を見て思ったんだ。

「これ、タダじゃね? しかもやわらかそうなとこはおいしそう――かも?」

柔らかい新芽を選んで摘み、湯がいてみた。

「うーん。食べられなくはない……が、うまいとも言えない」

食べられる野草みたいなものを図鑑で調べてからリベンジした方がよさそうだ。

――第三段階:光合成。

ある日、同僚の冗談が俺の心を撃ち抜いた。

「人間も光合成できれば最強だよな」

その瞬間、俺は思った。

「できるんじゃね?」

太陽の光と二酸化炭素で生きられたら、食費ゼロ。しかも温室効果ガスを吸収し地球にやさしい俺。

やり方はよくわからないので、見様見真似でベランダに出て、両手を広げた。

「太陽よ、俺に力を!」

朝から夕方まで、ずっと日光浴。

正直、めちゃくちゃ暑い。でも気分だけは植物。

「お腹……いっぱいになった……気がする!」

完全に思い込みかもしれないが、節約効果は抜群。

――第四段階:同僚にバレる。

「お前、最近お昼食べてないよな」

「ああ、昼休憩中は光合成してるから問題ない」

「……は?」

真顔で答えたらドン引きされた。

でもいいんだ。だって俺は、もう食品の値上げに怯える生活を脱したのだ。基本は光合成、天気が悪くても虫と雑草がある。死角なしの無敵状態だ。

――そして最終段階。

健康診断の日。

医者が血液検査の結果を見て首をかしげた。

「……あなた、これ、クロロフィル? ――なんで??」

「やった! 俺、やっぱ光合成できてたんですね!」

その瞬間、俺は節約メシの向こう側に到達した実感を得た。

――そのとき、健診医の背後から白衣の男性が数人歩み寄ってきた。

「先生、めずらしい検体が手に入りましたね」

「光合成するって言ってませんでした?」

「ああ、非常に興味深い! 健康診断中に木っ端微塵になって死んだことにしておきましょう。俺、医者だし、死亡診断書なんて書き放題」

「死体すらないとか怪しすぎぃ」

わっはっはっと医者たちの無情な笑い声が室内に響き渡る。

――な、なんてことだ。これもすべてスーパーの値上げのせいだ。俺は値上げのせいでこれから命を落とすことになるのだ。

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