#419 昨日まで住んでいた星

SF

目を覚ましたとき、空の色が違っていた。

昨日まで住んでいた星の空は、柔らかな青だったはずだ。

けれど今日見上げる空は、薄紫に揺らめき、星々が昼間から淡く瞬いていた。

喉が乾き、空気を吸い込む。

微かに甘い匂いがした。

「……ここはどこだ」

周囲を見渡すと、見知らぬ草原が広がっていた。

草は背丈ほどもあり、葉の先は光を放っている。

風に揺れるたびに、淡い音色を響かせていた。

昨日まで住んでいた星では、こんな植物は存在しなかった。

記憶をたどる。

あの星には、確かに家があり、友人がいて、毎日の暮らしがあったはずだ。

なのに、どうしてここにいるのか思い出せない。

立ち上がり、歩き出すと、遠くに建物のような影が見えた。

近づくと、それは人の手で造られた街だった。

石造りの家々、透明な水晶でできた塔。

道を歩く人々の姿もある。

だが、誰一人として僕に気づかない。

すぐ横を通り過ぎても、目を合わせることさえなかった。

「すみません!」

声をかけてみる。

返事はなかった。

まるで僕の存在が、この世界から切り離されているかのようだった。

しばらく街を歩くと、大広場に出た。

中央に円形の石碑があり、そこにはこう刻まれていた。

『昨日まで住んでいた星の名を忘れるな』

石碑を見つめた瞬間、頭の奥で鐘のような音が鳴った。

次の瞬間、記憶があふれ出す。

――昨日まで、確かに別の星に住んでいた。

そこは青い空と水の星。

しかし、空が赤く裂けるように光り、星そのものが崩壊していったのだ。

逃げ場はなかった。

ただ強い光に包まれ、気づけばここにいた。

では、この星は何なのか。

周囲の人々をよく見てみる。

顔はどこか懐かしく、記憶の中の人々に重なった。

家族や友人、同僚……確かに昨日まで一緒に暮らしていた人たちだ。

だが彼らは僕を認識せず、淡々と生活を続けている。

「なぜだ……どうして僕だけが外れている?」

震える声で呟いたとき、背後から声がした。

「あなたは選ばれなかったから」

振り返ると、白い衣をまとった人物が立っていた。

顔は霞んでいて判別できない。

その存在だけが、僕を見ていた。

「選ばれなかった?」

「昨日まで住んでいた星は終わった。人々の記憶は、この星へと移された」

「じゃあ……ここは?」

「失われた星の記憶を保存する場所」

理解できなかった。

「じゃあ僕は……」

白い人物は静かに告げた。

「あなたは何らかのトラブルにより、記録形式が違う状態で保存されました。だから、ここでは誰にも気づかれない」

胸の奥が冷たくなった。

昨日までの暮らしは確かにあったのに。

笑い合った声、温かな食卓、眠る前の静けさ。

すべてが記録から僕だけ漏れたのか。

「どうすれば……僕も、この星に生きられる?」

必死に問うと、白い人物は首を振った。

「一度記録されると、記録形式は変えられない。あなたはただ、昨日まで住んでいた星を覚えている証人になる」

「証人……?」

「そう。誰もが忘れる中で、あなた一人だけが覚えていられる」

そう言って、白い影は消えた。

気づけば広場には人々の声が響き、日常が続いている。

だが僕はその中に入ることはできなかった。

昨日まで住んでいた星の記憶を、ただ一人抱えたまま。

そして今夜も空を見上げる。

昨日まで住んでいた星は、もう存在しない。

けれどその記憶だけが、確かに胸に残り続けている。

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