#422 人類最後の観察日記

SF

【9月14日】

九月も半ばだというのに真夏みたいな暑さだ。

夕立の後、川沿いを歩いていたら、奇妙な光を放つ石のようなものを見つけた。拾い上げると、石ではなく卵らしかった。手のひらよりも少し大きく、青白く脈打つように光っている。

湿った空気と蝉の声の残響の中、なぜか目が離せず、持ち帰ってしまった。

【9月15日】

エアコンの効いた部屋に卵を置いて一晩過ごした。

朝になると、卵の表面に水滴のような霧がついていた。呼吸しているみたいだ。

ニュースでは「今年は観測史上最も暑い九月」と言っていたが、部屋の中は妙に冷たい空気に包まれていた。
卵のせい? まさかね。

【9月17日】

雨が降ったりやんだりで外に出る気がしない。

卵をじっと見ていると、表面に細い線が浮かび上がった。幾何学模様のようで――生物のことはよく知らないが、自然にはありえない模様な気がする。

耳を近づけると低いうなりが響いている気がする。

そういえば、昨夜は変な夢を見た。黒い影が街全体を覆い、信号機の光が飲み込まれていく夢。

【9月18日】
今日も雨。気温は少し下がったが湿気がひどい。

卵は確実に大きくなっている。最初は手のひらくらいの大きさだったはずが、いまはバスケットボールほど。会社の同僚に話したら笑われた。

「拾った卵の観察日記? 暇かよ」

笑い飛ばされたけれど、不思議と怒る気にならなかった。そんなことよりも記録し続けないと落ち着かないんだ。

【9月19日】

夜中に地鳴りのような音で目が覚めた。部屋の中心で卵が震えていた。窓の外では近所の犬が一斉に吠えている。朝になると、卵の殻にひびが入っていた。もうすぐ何かが出てくる。ほとんど世話もせずに置いておいただけなのに、孵るものなのか。

【9月20日】

仕事を休んだ。卵から目を離せない。亀裂の間から黒い液体がにじみ出し、部屋中に甘ったるい匂いが鼻を突く。不思議と嫌悪感はなく、むしろ心地よいような気がする。近くに座り込み、何時間も見入ってしまった。

【9月21日】

今日も仕事を休んだ。ついに殻が一部崩れ落ちる。中から覗いたのは濡れた眼のような器官。それが僕を見て瞬きをした瞬間、頭の中に声が響いた。

「おまえは選ばれた」

恐怖より先に涙があふれた。なぜ泣いたのか、自分でもわからない。

【9月23日】

秋分の日。曇り空の下、テレビでは「大気の状態が不安定」と繰り返している。卵は完全に殻を脱ぎ捨て、黒くぬめる姿を見せている。形は一定せず、時に動物のように、時に人の顔のように変わる。
昨夜は亡くなった祖母の声で囁かれた。

「ありがとう。もうすぐだよ」

これは一体何なんだろう。

【9月27日】

世界のニュースで「各地に光柱が出現」と報じられた。画面の光柱の形と、部屋の中で揺らめく影が同じだ。外に出ると、街の輪郭が靄に溶けている。人影はまばらで、声も聞こえない。でも僕は不思議と恐ろしくない。とりあえず今のところは奴に守られているようだ。今のところは――だけど。

【9月30日】

九月が終わる。世界も終わるかもしれない。壁は呼吸するように動き、天井には見たことのない星々が広がっている。卵から生まれたそれは部屋に収まりきらないほど大きいのに、空間そのものが奴に合わせて変形している。子供の頃、ノストラダムスの大予言を聞いてイメージした恐怖の大王はこんな感じだったなと懐かしく思い出す。

【10月1日】

個人的な日記はここで終わらせる。奴は僕に命じたんだ。

「記録せよ。証人であれ。お前は最後まで生き残り記録する責務を負った」

もしこれを誰かが読んでいるなら、もう遅いだろう。
九月の終わりとともに、僕らの世界は孵化してしまったのだから。

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