#425 盤上に消える

ちいさな物語

古びた喫茶店の片隅に置かれた知らないボードゲーム。遊んだ仲間の一人が、次のターンが来る前に姿を消した。ゲームは続き、盤上の駒は消えた友人の席を指し示す。恐怖と好奇心の板挟みのまま、残された者たちはダイスを振る手を止められなかった。(文字数:)

「#425 盤上に消える」
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ちいさな物語


古びた喫茶店の奥、埃をかぶった棚の上に、一つの箱が置かれていた。この喫茶店では古いボードゲームや昔の漫画がたくさん置いてあって、好きなことをして時間をつぶすことができるのだ。

「なんだこれ? 見たことないな」

表面には異国の文字と、歪んだ地図のような模様が描かれている。知らない文化圏の儀式道具のようだった。

僕らは大学の帰り道にちょっとコーヒーを飲みに寄っただけで、ここで遊ぶ予定はなかった。しかし、その箱がまるで僕らを待っていたかのような不思議な感覚に囚われていた。

「――ちょっとだけやってみようぜ」

そう言ったのは、いつも好奇心旺盛な田島だった。

箱を開けると、中には黒ずんだ盤と駒、古びたダイスが一つ。説明書はなかったが、盤面には歪んだマス目に不思議な記号が描かれている。

「なんかファンタジー世界のゲームみたいでかっこいいな」

ルールなどわからないのに、僕らの手はなぜかあらかじめ遊び方を知っていたかのようにスムーズに動いたし、誰もそのことについて疑問を抱かなかった。このとき不審に思ってやめておけばよかったのだが――。

「順番にダイスを振って、駒を進めるんだよな」

最初に田島が振った。ダイスは「3」を示し、駒は意思を持っているかのように勝手に三マス進んだ。

次は僕。出た目は「1」。駒は一歩。

ただそれだけのことなのに、階段を踏み外しそうになったときのヒヤッとした感覚が体に走った。

(なんだろう。この感覚は……)

三巡目が終わる頃だった。

「おい……田島は?」

気づけば、そこに座っていたはずの田島の姿がなかった。

イスにはまだ温もりが残っている。けれど姿が消えていた。誰も田島が席を外したところを見ていなかった。

「トイレか?」

「いや、どうせふざけて隠れてんだろ」

そう笑ったが、誰も探しに行こうと席を立ち上がらなかった。

盤を見ると、田島の駒は奇妙な模様の描かれたマスで止まっていた。そこには黒い染みのようなものと謎の記号が書かれている。

田島を飛ばしてしまっていいのかと迷っていると、ダイスが勝手に転がった。

「4」

僕らは息をのんだ。

残された駒の一つが、田島の駒と同じマスへ進んでいった瞬間、盤の上で光が弾け、駒の形が歪んで膨れ上がった。

「このゲーム、やめた方がいい」

そう言ったのは常に冷静な藤森だった。

だが盤の上の駒は、まるで僕らを逃すまいとでもするようにカタカタと鳴っていた。

気づけば、みんなの視線はダイスに吸い寄せられていた。振らずにはいられなかった。

僕がダイスを握ると、手のひらが熱くなる。転がすと「6」が出た。駒が進む。マスには木の模様が描かれていた。

次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

気づけば、僕は知らない森の中に立っていた。空には奇妙な月が二つ浮かび、風は低く囁いていた。

振り返ると、さっきまでいた仲間たちもそこにいた。

ただ一人、田島の姿は見えない。

代わりに、暗い森の奥から湿った笑い声が聞こえた。

「おい、あれ……」

藤森が指さすと、地面にはあの盤が置かれていた。しかし、そこに並ぶ駒は僕ら自身の姿に変わり、盤の縁には新しいマスが増殖していた。

「続けないと……喰われる」

誰が言ったのかわからない。ただ、その言葉に逆らえなかった。

一人が駒を進めるたび、景色が歪み、空気が変わる。森が海になり、海が砂漠になり、次々と世界が切り替わっていく。そのたびに盤は脈動し、黒い染みは広がっていった。

そして、駒がある記号のマスに止まるたび、その者は跡形もなく消えていった。叫び声も残さずに。田島が消えたときのマスと同じ記号だった。

ついに僕と藤森の二人だけが残った。

「やめよう!これ以上は……」

いつも落ち着いている藤森の声が震えていた。

けれど、最後のダイスは僕の手に吸い寄せられていた。振るしかなかった。

「5」

駒が動く。

そして、僕は気づいた。

盤の中央には「喰」の文字が刻まれている。藤森の駒がそこに止まった瞬間、彼は光に包まれて消えた。盤の黒い染みはさらに広がり、新たなマスが増えていった。まるで栄養を取り込んで成長する生き物のようだ。

残されたのは僕だけ。盤上には、僕の駒が一つ。次の餌を待つかのように震えている。

僕はやめたいのに、なぜか手が勝手にダイスを振る。そして駒が勝手に進み始めた。

僕は抗うこともできず、ただその行方を見守った。そして最後に見たのは――盤そのものが飢えた獣のように口を開ける光景だった。

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