あんたにも経験はあるんじゃないか?
夜中にふと、ラーメンが食べたくて仕方なくなるとか、やけに甘いものを欲するとか。誰にでもあるんじゃないかと思う。これはただの気まぐれみたいなものだと思うだろう。
でもな、俺の場合はちょっと違ったんだ。
最初は小さなことだった。
ある晩、どうしても「きゅうり」が食べたくなった。別に好きでもないのに、頭から離れない。仕方なくコンビニで漬物を買って食べた。
すると、おかしなことに、体が異様に軽くなったんだ。まるで何かに憑かれていたのが抜け落ちたような感覚だった。
次の日は「鶏の手羽先」だった。その次は「りんご」。そして「レバー」。
どれも普段なら特に欲しないものばかりだ。しかも食べた後は、必ず同じ感覚に襲われる。安堵、そして快感……。
最初は病気かと思ったよ。食欲をつかさどる脳の一部に何か起こってるんじゃないかって。医者にも相談したが、「いや、誰にでもよくあることでしょう」と笑われた。念の為と行った頭部MRIと血液検査でも特に異常はなかったんだ。
でもな、あの夜を境に確信したんだ。
ある日、急に「豚の心臓が食べたい」と思ったんだよ。今まで意識すらしてなかった食材だ。普通じゃないだろ?
それがどうしても我慢できなくて、肉屋に駆け込んで頼んだ。でも「うちは豚ハツは置いてません」と申し訳なさそうに言われただけだった。
仕方なく焼き鳥屋で「ハツ」を注文した。食べた瞬間、心臓が脈打つような感覚に襲われた。胸の奥で、何かがもうひとつ生きている。
ぞっとしたよ。
それから、欲望はますますおかしくなった。
「魚の目玉が食べたい」
「蜂の子を食べたい」
「豚の血を飲みたい」
そんな不気味な衝動が、唐突に襲ってくる。やはり今まで食べたことがない食べ物ばかりだ。でも食べないと眠れない。食べると安堵する。
あんた、これがただの食欲だと思うか?
俺はある時、古い民俗学の本を読んだんだ。そこには「定期的に奇妙な食物を欲する者は、何かに寄生されている」と書かれていたんだ。
つまり俺は、誰かの「食欲」そのものになっているんじゃないかと。
ある夜、夢を見た。
暗闇の中に、巨大な口がある。俺が何か食べるたび、その口が「うまい、うまい」と言って笑うんだよ。そして口はさらに大きくなっていく。
俺が食いたいんじゃない。食わせられてるんだ。欲望の主は俺じゃなくて、こいつだ。
そう考えた瞬間、全身が冷たくなった。もしこの化け物がとんでもないもの――法律に触れるようなものを欲したら俺は……。
それからは必死にその食欲に逆らってみた。
きゅうりを食べたくなっても我慢した。肉を欲しても耐えた。
だが結果はひどいもんだった。高熱が出て、幻覚に苛まれ、心臓はバクバクいって死ぬかと思った。
結局、負けたよ。涙を流しながらきゅうりをかじった瞬間、体が嘘みたいに楽になった――もう抗えないんだ。
あんたも今夜、ふと「どうしてもこれが食べたい」と思ったら気をつけな。
もしかするとそれは――あんたの食欲じゃないかもしれない。アレがまだ小さなうちに対処した方がいい。
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