あんたは最近「セルフ〇〇」ってやつをよく聞くと思わないか?
セルフレジ、セルフ脱毛、QRコードでセルフ注文するカフェ……最初はその程度だった。人件費削減だの効率化だの言われて、「自分でやる方が早い」って便利がられていた。
でもな、気がついたら街中がセルフだらけになっていたんだ。
役所に行けば「セルフ窓口」。職員はいない。置いてある端末の指示通りにやれば手続きが済むくらいならまだいい方で、端末の準備ができない田舎では置いてあるフローチャートに従って自分たちでやる。
中にはなんらかの手続きをしたい市民同士が机を挟んで座り、順番に「あなたの申請は受理しました」など、フローチャートの文章を読み上げ「お役所ごっこ」のような雰囲気になる。
最後には「ご苦労さま」とお互いに言って、手を振って別れるという光景が「田舎あるある」として定着。
病院に行けば「セルフ診断」。鏡の前に座ってタブレットに表示されたマニュアルを見ながら、自分で聴診器を胸に当てて、指示通りに呼吸。
「異常あり」と画面に出ると、次はAIドクターが診断。生身の医者と看護師が出てくるまではまだまだ遠い。
レストランでは「セルフ調理」。材料が置いてあって、客はレシピを見て、自分で切り、焼き、盛り付ける。
店員はAI搭載の人型ロボットで、調理方法などで疑問があれば親切に教えてくれる。
店内には高性能カメラが設置してあり、材料費、光熱費を細かく計算し、あらかじめ設定しておいた電子決済方法で店を出る時に自動的に決済される。
やがて「セルフ裁判」なんてものまでできた。裁判官も弁護士もいない。法律、条例、判例をすべて学習させたAI端末に被告と原告がそれぞれ言い分を入力。証拠もそこへアップロードする。
感情を持たないように設計されているAIは決まりに従って瞬時に判決を出す。情状酌量とか裁判長のありがたいお言葉もない。
一番驚いたのは、葬式までセルフになったときだ。
「セルフ葬儀」。祭壇も僧侶もいない。棺桶と花を注文しておくと指定場所に届くので、遺族が自分で読経し、自分で木魚を叩き、焼香をして、出棺する。
必要最低限を望む層にも刺さるサービスだが、オプションも取りそろっているのでオリジナルにこだわりたい人々もこぞって依頼していた。
「手作りの葬儀……これが一番心がこもる形です」なんてパンフレットに書いてあったが、俺には良さがよくわからなかった。
そのうち、「セルフ友達」なんて言葉が流行りだした。これは昔からあったような気がするが、要するに最新式のお人形遊びだ。
好みの性格、口調、経歴などを設定し、スマホでメッセージ交換や、電話も対応してくれる。
喧嘩するタイミングなどもプログラムすることができて、よりリアルな友達付き合いを体感できる。
孤独は和らぐかもしれないが、果たしてそれを友達と呼んでいいのか……。
さらに奇妙なのは、「セルフ神様」だ。自分の信じる神様を手作りできる。仏教、神道、キリスト教など雰囲気のベースを選んで、好きな神様をコーディネート。神像、祭壇、経典などを作ってオリジナルなお祈りを捧げる。
植物油脂の入った食品を食べないとか、毎朝、朝日に向かってピースサインするとか、マイ宗教ルールを作るのも流行している。
「神の言葉はセルフで生まれる」とか言って、若者たちはこぞって神様を創造していた。
気づけば世の中には「セルフ愛」「セルフ結婚」「セルフ出産」なんて言葉まで出てきた。誰も他人を必要としない。
でもな、俺はどうしても腑に落ちなかった。科学が発展した今、確かに「セルフ」でなんとかなることが増えたんだけど、助け合いとか、できる人に任せるみたいなのも悪くないと思うんだよ。
そう思うのは年をとったからかな。
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