最寄り駅から自宅までの道のりは、徒歩で五分。短い距離だが、最近どうしても気になることがあった。
駅から自宅への道のちょうど真ん中辺り、交差点から三本目の電信柱——ちょうどその街灯の真下で必ず同じ人物とすれ違うのだ。
深く帽子をかぶった黒いコートの人物。顔は帽子で見えない。でも、必ず同じ場所ですれ違う。
向こうが歩いてきて、俺とすれ違う。それが同じ場所。ただそれだけ。
初めは偶然だと思っていた。定時に帰るときはだいたい同じ時間にそこを通るし、向こうも毎日同じ予定があるならそうなるだろう。しかし、あまりにも完璧にタイミングが合いすぎるのが気になった。
しかし、妙なことに残業で時間がずれてしまっても、必ずその街灯の下ですれ違うことに気づいてしまった。
早く退社した日も、飲み会で深夜になってしまっても、まだ明るい時間帯でも——。
なぜか、向こうが歩いてくるタイミングがぴたりと合うのだ。
まるで、俺の行動を見透かしているみたいだ。いや、見透かしていたと仮定しても、すれ違うタイミングを完全に合わせるのは至難の業だ。
あまりに気になるので、少し試してみることにした。その人とすれ違うタイミングをこちらからずらすのだ。
手前の交差点が青になったとき、歩き出さずに一回見送った。次に青になったときに渡ってみる。
しかし、いつもの通りに入った途端、ぞっとした。やはり向こうから帽子の男がやってくる。この距離感だとやはりすれ違うのは――あの、三本目の電信柱の真下……。
偶然ではない。しかし一体どうやってタイミングを合わせているのか。軽く周りを見てみるが、交差点の向こうを見渡せるようなミラーはない。
俺はとうとう我慢できなくなった。男の目の前で立ち止まって、大胆にタイミングをずらすのはどうだろうか。なんとなくこちらが気にしている素振りをしてはいけないような気がしていたが、あまりに気味が悪い。
俺の心臓は早鐘のように鳴っていた。でも、今度こそ確かめる。逃げない。
しかし――立ち止まることはできなかった。自分の意思に反して足が進み続ける。これはどういうことなのだろうか。そしてやはりいつも通りの場所ですれ違いそうになる。
こうなったら仕方ない。すれ違いざま、思い切って声をかけた。
「すみません……毎晩、ここで会いますよね?」
人影がぴたりと止まった。なぜか自分の足も止まった。帽子のつばの影から、口元だけがゆっくりと見えた。
「……立ち止まって、しまいましたね」
低く湿ったような声。背筋が凍る。俺はじりじりと後ずさった。
「なんなんですか、あなた」
「すれ違っていればよかったのに。立ち止まって、しまったんですね」
帽子の人が一歩、前へ出る。街灯の光がその体を照らす——。
その瞬間、強い風が吹いた。
帽子がわずかにずれてその顔があらわになる。いや、そこに見えたのは——顔ではなかった。
皮膚のない、のっぺりとした灰色の面。その中心に、縦に裂けた口のようなものがあった。唇もなく、穴のように開いたそれが、伸縮するようにゆっくりと動く。
「……見た」
頭の奥に直接響くような声だった。言葉というより、脳を撫でられるような感覚。
俺は咄嗟に目をそらして走り出した。
後ろを見なかった。息を切らし、転びそうになりながら家にたどり着いた。
玄関の鍵を閉め、ドアに背をつける。心臓の鼓動が耳の奥で爆発するように響く。
——もう、二度とあの道は通らない。かなり遠回りになるが、別の道を通ろう。そう誓った。
だが、翌朝。
いつものようにスマホを見ると、見覚えのない写真が保存されていた。
夜の街灯の下、俺が歩いている姿。そして、その背後——。
すぐ後ろを、あの帽子の人が歩いていた。
どうやって撮った? 誰が?
写真を消そうとしても、画面が固まって動かない。ピクリとも反応しないスマホの画面に、突然ノイズのような縦線が走った。
その中心が伸縮するようにうごめき、あの声がした。
「……見た」
翌日の新聞に、小さな記事が載った。
「帰宅途中の会社員男性が行方不明に」
「自宅最寄り駅の防犯カメラに映る帰宅中の姿が最後」
そして数日後——会社の後輩が彼の話をしていた。
「最近、あの道の街灯の下ですれ違う人、いません?」
「黒い帽子をかぶった人……いつも同じ場所で」
「うそ、俺も見たよ。それも同じ時間に」
彼らは知らない。
帽子の下にあるものを見てしまったら、次は——すれ違う側に回るのだということを。
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