その日は教室の席替えの日だった。
いつもなら机を動かして終わりなのに、急に担任が妙に楽しげに言った。
「今日から特別な配置にする。六角形だ」
うちの担任は少し変わっていて、いきなりこういうことをしだすのはよくあることだった。クラス中が「ハイ、ハイ」という諦めの表情で机を動かす。
机は奇妙に組み合わされて、教室内に六角形の島がいくつか作られた。六人が顔を突き合わせる形だ。
「笑顔で向かい合える、素敵な配置だろう?」
でも誰も笑わなかった。ひとりを除いて。
斜め前の松村が、乾いた笑みを浮かべていた。まるで口元を誰かに吊り上げられているように。何もおもしろいことなどないのに。不自然な笑いだった。
「どうした、松村」
何人かが心配して声をかけたが、松村は何も答えなかった。
翌日から机の真ん中に奇妙なものが置かれるようになった。
――黒い石板。そこには六芒星のような模様が刻まれていた。
「先生、これ何ですか」
「これは『集中の印』だ」
担任は言った。
「見つめると、心がひとつになる。六角の席にぴったりだ」
やっぱり変な先生だな。またクラスにひんやりとした空気が流れた。そのとき松村が低く笑った。
「……ハ、ハハ」
松村はそういう目立つようなことをするタイプではない。やはり不自然極まりなかった。
僕は視線を逸らしたが、隣の女子は素直にじっと石板を見つめた。そして次の瞬間、彼女の口角がぎこちなく吊り上がった。目だけは虚ろに光り「アハ、ハハハ」と笑い出した。
だんだん石板を見ていた他の生徒も笑い始めた。六角の島は不気味な笑い声で満たされていった。
僕は目を逸らして石板を見ないようにしていた。あの石板はなんかおかしい。
「なぜ笑わないの?」
担任がじっと僕を見ていた。
「せっかく呼んでいるのに」
呼んでいるとは何を? その日、僕だけが笑わなかった。だからクラス中から冷たい視線を浴びた。何が起こっているのだろう。また担任が何かたくらんでいるのだ。
翌日、担任が教室の灯りを落とした。窓のカーテンも閉ざされ、六角形の机の上にだけ淡い光が浮かんだ。
石板の紋様が、勝手に赤く光っていた。
「昨日は失敗したので、今からきちんとした儀式を進めます」
担任はそう言った。
「六人が笑えば、門が開く」
ぞくりとしたが、誰も声を出せなかった。松村が狂ったように笑いだし、次々に他の島の生徒たちも顔を歪ませていく。クラスメイト全員の様子がおかしい。
僕の島でも、五人が笑った。残るは僕ひとり。
「さぁ、今日もきみが最後だよ」
担任の声が響く。机の六角は牢獄のように僕を閉じ込める。
石板から光が迸り、六角形の中央に黒い穴が開いた。冷たい風と、低い唸り声のような音。
「……ア……」
何かが穴から這い出そうとしていた。みんなの笑い声が合唱のように響き、教室は地獄じみた音に包まれた。僕は必死に石板から目を逸らし、机を蹴って立ち上がった。
「やめろ!」
叫んだ瞬間、机がガタリと崩れ、六角形の形が壊れた。
すると黒い穴はみるみるしぼんで消えた。
「…………」
笑っていたみんなの顔から、すっと表情が消えた。松村も、担任も。まるで最初から何もなかったかのように。
「どうした?」
担任が平然とした声で言う。
「どうしたって……先生、あの六角形の……」
担任は一瞬だけぐっと眉根を寄せた。それからすぐに笑顔を作り、「授業中に居眠りは禁止だぞ」と、わざとらしく怒ったような声を出す。
クラス中に明るい笑い声が満ちる。自然な、いつものクラスメイトたちの笑い声だ。
「さて、今日の授業は終わりだ。寄り道せずに帰れよ」
気がつけば机は元通りの長方形に並び直されていた。石板も消えていた。
あれは夢だったのかと思った。でも、廊下に出たとき、まだ耳の奥に残っていた。「ア……アハハ……」と、クラスメイトたちの不自然な笑い声が。
あの形はきっと何かの出入口、担任の言っていた「門」だったんだ。そして、ほんのわずかに――それが開いてしまった……。
絶対、変人の担任が何かを呼び出そうとしたに違いない。きっと悪気はなくて、本当にただの好奇心で。もし、あの穴から何かが出てきていたらと思うと、ぞっとして眠れなくなった。
今度から担任がわけのわからないことをしようとしたら、全力で阻止しようと心に決めた瞬間だった。
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