#480 六角の席

ちいさな物語

その日は教室の席替えの日だった。

いつもなら机を動かして終わりなのに、急に担任が妙に楽しげに言った。

「今日から特別な配置にする。六角形だ」

うちの担任は少し変わっていて、いきなりこういうことをしだすのはよくあることだった。クラス中が「ハイ、ハイ」という諦めの表情で机を動かす。

机は奇妙に組み合わされて、教室内に六角形の島がいくつか作られた。六人が顔を突き合わせる形だ。

「笑顔で向かい合える、素敵な配置だろう?」

でも誰も笑わなかった。ひとりを除いて。

斜め前の松村が、乾いた笑みを浮かべていた。まるで口元を誰かに吊り上げられているように。何もおもしろいことなどないのに。不自然な笑いだった。

「どうした、松村」

何人かが心配して声をかけたが、松村は何も答えなかった。

翌日から机の真ん中に奇妙なものが置かれるようになった。

――黒い石板。そこには六芒星のような模様が刻まれていた。

「先生、これ何ですか」

「これは『集中の印』だ」

担任は言った。

「見つめると、心がひとつになる。六角の席にぴったりだ」

やっぱり変な先生だな。またクラスにひんやりとした空気が流れた。そのとき松村が低く笑った。

「……ハ、ハハ」

松村はそういう目立つようなことをするタイプではない。やはり不自然極まりなかった。

僕は視線を逸らしたが、隣の女子は素直にじっと石板を見つめた。そして次の瞬間、彼女の口角がぎこちなく吊り上がった。目だけは虚ろに光り「アハ、ハハハ」と笑い出した。

だんだん石板を見ていた他の生徒も笑い始めた。六角の島は不気味な笑い声で満たされていった。

僕は目を逸らして石板を見ないようにしていた。あの石板はなんかおかしい。

「なぜ笑わないの?」

担任がじっと僕を見ていた。

「せっかく呼んでいるのに」

呼んでいるとは何を? その日、僕だけが笑わなかった。だからクラス中から冷たい視線を浴びた。何が起こっているのだろう。また担任が何かたくらんでいるのだ。

翌日、担任が教室の灯りを落とした。窓のカーテンも閉ざされ、六角形の机の上にだけ淡い光が浮かんだ。

石板の紋様が、勝手に赤く光っていた。

「昨日は失敗したので、今からきちんとした儀式を進めます」

担任はそう言った。

「六人が笑えば、門が開く」

ぞくりとしたが、誰も声を出せなかった。松村が狂ったように笑いだし、次々に他の島の生徒たちも顔を歪ませていく。クラスメイト全員の様子がおかしい。

僕の島でも、五人が笑った。残るは僕ひとり。

「さぁ、今日もきみが最後だよ」

担任の声が響く。机の六角は牢獄のように僕を閉じ込める。

石板から光が迸り、六角形の中央に黒い穴が開いた。冷たい風と、低い唸り声のような音。

「……ア……」

何かが穴から這い出そうとしていた。みんなの笑い声が合唱のように響き、教室は地獄じみた音に包まれた。僕は必死に石板から目を逸らし、机を蹴って立ち上がった。

「やめろ!」

叫んだ瞬間、机がガタリと崩れ、六角形の形が壊れた。

すると黒い穴はみるみるしぼんで消えた。

「…………」

笑っていたみんなの顔から、すっと表情が消えた。松村も、担任も。まるで最初から何もなかったかのように。

「どうした?」

担任が平然とした声で言う。

「どうしたって……先生、あの六角形の……」

担任は一瞬だけぐっと眉根を寄せた。それからすぐに笑顔を作り、「授業中に居眠りは禁止だぞ」と、わざとらしく怒ったような声を出す。

クラス中に明るい笑い声が満ちる。自然な、いつものクラスメイトたちの笑い声だ。

「さて、今日の授業は終わりだ。寄り道せずに帰れよ」

気がつけば机は元通りの長方形に並び直されていた。石板も消えていた。

あれは夢だったのかと思った。でも、廊下に出たとき、まだ耳の奥に残っていた。「ア……アハハ……」と、クラスメイトたちの不自然な笑い声が。

あの形はきっと何かの出入口、担任の言っていた「門」だったんだ。そして、ほんのわずかに――それが開いてしまった……。

絶対、変人の担任が何かを呼び出そうとしたに違いない。きっと悪気はなくて、本当にただの好奇心で。もし、あの穴から何かが出てきていたらと思うと、ぞっとして眠れなくなった。

今度から担任がわけのわからないことをしようとしたら、全力で阻止しようと心に決めた瞬間だった。

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