#526 アニマルファンタジー

ちいさな物語

登山を決行した朝は、ひんやりした空気に満ちていた。

俺たち四人は久しぶりに会って、楽しく山を登っていた。大学で出会い、サークル活動を通して仲良くなり、長い時間を一緒に過ごした四人組。就職して半年、ようやく予定が合って登山の計画を立てることが出来たのだ。

俺はマコト、そしてちょっと乱暴で声が大きいユウキ、聡明でよく笑うリナ、そして何かと雑で面倒くさがりなケンジ。

その日は山頂まで行き、一緒に記念写真を撮る予定だった。

けれど、俺たちの運命はひどいものだった。

山小屋に向かう途中、低い唸り声が森から響いた。振り返ると、巨大な熊が俺たちを睨んでいる。

逃げる間もなかった。俺たちはなすすべもなく襲われた。

一番初めに襲われたのは俺だと思う。すぐに視界は真っ赤に染まり、叫びも途中で途切れた。その時は他のメンバーがどうなったのか全然わからなかった。そして痛みも、恐怖も、すぐに遠ざかっていく。これが即死というやつか。

――気づけば、俺は白い空間に立っていた。

身体はふわふわして、足元は雲みたいに柔らかくて、「なるほど。これが死後の世界かな」と思った。

すると視界の端で、何かが動いた。

「気づいたか?」

ケンジの声。

「あれ? 生きてるのか?」

「何言ってんだ。死んでるからこんなことになってんだろ」

ユウキの声。

「私たち熊に皆殺しにされたのよ」

リナの声。

たしかに声は聞こえる。声は聞こえるけれど、何かがおかしい。

声がする方にいたのは三匹の動物だった。

一匹は尻尾がふさふさしたキツネ。一匹は妙に落ち着いた目のフクロウ。そしてもう一匹は小さくて丸いタヌキ。

なのに、声は――ユウキ、リナ、ケンジ、そのものだった。

「ちょっと待って。え、なんで動物?」

俺が思わず聞くと、ユウキ(キツネ)が叫んだ。

「知らねえよ! 気づいたら尻尾生えてたんだよ!」

「私、羽がある……飛べる……?」リナ(フクロウ)がしずかに羽ばたく。

「俺なんでこんな丸っこいんだよ……どういう基準だこれ……」ケンジ(タヌキ)がしょんぼりする。

何がどうなってるのかわからない。ただひとつ、間違いないのは――三人の言葉が普通に理解できることだ。動物の鳴き声と人間の話し声が二重に聞こえる。

「これって噂に聞く異世界転生……ってやつか?」

とりあえず言ってみたら、ユウキが吠えた。

「だとしたらおかしいじゃん。もっとこう、神様的なやつに説明とかされるだろ普通? ほら、チート能力とかさ。いきなり動物になるとかないだろ!」

確かに神っぽい存在を見た覚えはない。

やがて白い空間の端がじわりと色づき、森の風景が広がっていった。草に匂いがあり、土が柔らかくて、その空間は俺たちを吸い込んでいく。

どうやらもう「異世界のおなじみ説明タイム」はスキップされたらしい。

「――で、マコトはなんで人間のままなんだ?」ケンジがじっとりとこちらを見ている。

「いや、そんな目で見るな。知らんよ」

「でも、空も飛べるし。私はこれでいいかも」

リナはいつもポジティブだ。

「……まあ、確かに。少なくともマコトよりは素早く動けるしな」と、ケンジも尻尾を毛づくろいしはじめる。

三人が動物になっても、会話のテンポは昔のままだった。

それが妙におかしくて、俺は少し笑った。

それから、森の中を歩いてみることにした。

もちろん動物の三人は自由自在に動き、俺はひたすら置いていかれる。

「待て! なんでそんな速いんだよ!」

「いやキツネだぞ俺!」

「私は飛べるし」

「俺……たぶんタヌキだから……」

ついに三人は俺を「ペットの人間」のように扱い始めた。

木の実を投げて「取ってこい!」と言ったり、「背中に乗せろ」とユウキが言って飛び乗ってきたり。ずいぶんと楽しそうで、俺も動物になってみたくなった。

しかし、登山の続きのようでなんとなく楽しい。四人なら、こんな異世界転生も悪くないと思えた。

やがて森を抜け、広い草原に出る。風が気持ちよくて、どこか懐かしくて――

「あれ、なんか……山小屋みたいじゃない?」

リナが指した先には木造の建物があった。

見覚えがある。形も、色も、佇まいも。あの日熊に襲われたときに逃げ込もうとした山小屋にそっくりだった。

「――行ってみるか」

俺が言うと、三匹もうなずいた。

小屋の中に入ると、ひんやりした空気。そして奥のテーブルには、丸い切り株のようなものが並んでいた。

「なんだこれ?」

「椅子……?」

「いや、これ……」

近づくと、それは丸い切り株型のクッションだった。

「ようこそ。待っていました」

突然の声に俺たちは悲鳴をあげる。

そこにいたのは、まさに俺たちの命を奪った熊だった。いや、同一個体なのかはわからないが、大きさはほぼ同じ。

俺たちは慌てて小屋の隅まで後退りし、そこで震えていた。

「そんなところにいては、説明が始められません」

「あれ? 神様っぽいやつの説明、今から?」

ケンジが不思議そうにつぶやく。

「――ってか、あれ、熊じゃん」

ユウキがぽつりと言った。

「でも、これ以上どうなったって一緒だよね」

リナが羽ばたいて席に着く。

「まぁ、確かに」

俺たちも席につく。

「あなたたちは熊に襲われて死にました」

全員が黙り込む。

「ええ、そうです。私が殺しました」

俺たちはお互い目配せをしたが、やはり黙っていた。展開が読めない。

「でも4人一気に殺すなんて、ちょっとやりすぎだよねって自分でも思ったんです。まだ人間たちは大騒ぎしています」

熊はどこからかワンセグテレビのようなものを出してテーブルに置く。そこにはおなじみのワイドショーが映っていた。

「――大学を卒業したばかりの若者たち4人が襲われて今日でちょうど3日。とうとう地元猟友会により、該当の熊が仕留められました」

画面には大きな熊のイメージ画像が映し出される、その横に2メートルと書かれていた。

「でっけーな」

「熊、死んでるじゃん」

「ええ、そうです。でもそれは仕方のないことです。さて、ここからが本題です」

熊はワンセグテレビのようなものを片付けると、ふぅと息をついた。

「私が魔王をやるので、あなた達は4人でパーティを組んで私を倒しにきてください」

『なんで?』

見事に声がハモった。

「前世の因果の糸をほどくにはそれしかないのです。糸がほどけないことには、我々はどこにも行けません。人間はそういうことも教えてあげないと、わからなくなってしまったんですよね」

俺たちはまた顔を見合わせる。

「え? 要するに前世で私たちが殺されたから、復讐みたいなことをして精算しないと、前に進めないみたいな話?」

リナがくちばしを開く。熊は呆れ果てたように首をふった。

「はぁー、人間って、本当に……視野が狭いというか、なんというか。いや、もうその解釈でもいいでしょう。復讐とかそういうことより、問題は『因果の糸』なんですけどね。まぁ、とにかくそういうことですので」

その瞬間、熊は暗い光に包まれ浮かびあがる。そして、そのまま山小屋の天井を突き破って飛び去ってしまった。

「なんかさ……」

俺はケンジを見た。ケンジは頷きユウキを見る。

「なんか……な」

ユウキはリナを見る。

「……すっごい楽しそう!」

リナが我慢できないとでもいうように大きく羽ばたく。

「じゃあ……俺たちの新しい冒険、始めますか」

異世界の森の奥で俺たちはまた歩き始めた。

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