俺の友人は、昔から少し変わっていた。
いや、正確に言えば「変わった趣味」を持っていた。
骨董品でも、昆虫標本でもない。
彼が集めていたのは「使われなくなったもの」だった。
壊れた目覚まし時計、期限切れの会員証、書きかけで放置された日記。
本人いわく「役目を終えたものの余韻が好き」らしい。
ある休日、俺は久しぶりに彼の部屋を訪れた。
相変わらず、棚という棚が雑然と変なもので埋め尽くされている。
「増えたな」
そう言うと、彼はうれしそうにうなずいた。
「最近、いいのが多くてさ。ちょっと変な本を手に入れて――あ、この秘密の棚にいいものがあるんだ」
彼が指さしたのは、布で覆われた一角だった。なぜかちょっと嫌な予感がする。
「ちょっと見てもいい?」
俺が聞くと、彼は一瞬だけ言葉に詰まった。
「まあ……ちょっとだけなら」
いいものがあると言っておきながら出し渋るとは、どういう了見か。布をめくると、そこにはいくつも箱が並んでいた。
木箱、缶、引き出しの一部のようなもの。大きさも材質も様々だ。
「中身は?」
「――いや、その、使われなかった時間」
「はぁ?」
彼は真顔だった。
「正確には、使われるはずだったのに、使われなかった時間。いらないものならもらってもいいかなって思って」
「……」
意味が分からず、俺はただ黙った。
その瞬間、棚の奥から微かな音がした。
カチ、と乾いた音。
気のせいだと思ったが、彼ははっきりと顔色を変えた。
「今日は、ここまでにしよう」
その日はそれ以上、あの棚の箱の話はしなかった。
だが帰宅してから、妙な違和感が残った。俺の一日が、どこか欠けている気がした。何をしていたのか思い出せない時間がある。電車に乗って、その途中からも曖昧だ。
数日後、また彼の部屋を訪ねた。
あの棚が気になって仕方なかった。
「最近はどう? あの箱はどうなった?」
俺が聞くと、彼は苦笑した。
「ああ、集めてるよ」
しかし棚の箱が一つ減っている気がした。一番正面にあって目立っていたのでなんとなく覚えている。
「箱の配置、変えた?」
「いや、一部戻された」
少し不機嫌そうな顔をしている。
「戻す? どこへ?」
彼は答えなかった。代わりに、別の箱を指さした。
「ごめん。実はこれは君のなんだ」
「俺の?」
なぜか背筋がざわざわする。
「君が使わなかった時間。先週の火曜、夕方六時十七分から二十二分まで」
そんな細かいこと、覚えているはずがない。冷や汗が流れた。言われてみれば、その時間帯の記憶が薄いような気がする。
「ちょっと試してみたかっただけなんだ。返した方がいいか?」
彼は淡々と聞いた。
「それって――どうなるんだ?」
時間をとられて、戻される……。何が起こるのか見当がつかない。
「戻る。何もかもが」
俺は黙った。箱から、またカチ、と音がした。
「いや、いいや。それよりその趣味、やめたほうがいいんじゃないかな」
そう言うと、彼は静かに首を振った。
「もうやめられない。呼ばれるんだ、毎日。人の時間が欲しくてたまらなくなる」
彼は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
彼に何が起こっているのか、わからなかった。少なくともまた妙な趣味にのめり込んでいることは確かだ。そして精神的によくない状況になっている。
その夜、俺は自分の部屋でいつも通り過ごしていた。タブレットで動画を見ながら、コンビニで買った弁当を食う。その後少しだけスマホでゲームをして、シャワーを浴び、ベッドに転がった。
すると、不思議な感覚があった。
何かが体の周りにしゅわっと集まってくるような……直感的に失われた時間が戻ってきたと思った。
しかし思い出そうとすると、逆に今度はどこか欠けていたのか、まったく思い出せなくなってしまった。これが「何もかもが戻る」ということか。
翌日、また彼の部屋を訪ねた。しかし誰も出てこない。
少し待ったが、帰ってくる様子もなかった。連絡を取ろうと試みたが、電話は「この番号は使われていない」という趣旨のアナウンスを繰り返すだけだった。
部屋の前に、いつの間にか古い本と小さなメモが落ちている。さっきはなかったはずだ。
メモには彼の筆跡でこう書かれていた。
「他人の時間を箱の中に動かすには自分の時間を使うしかない。しかし時間をすべて使い切ってしまうと――」
どうやら人とは違う趣味を楽しみたいという欲望が高じて、とんでもないものに手を出してしまったようだ。
俺はメモをポケットに突っ込んで、その場を後にした。



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