#544 時間の箱

ちいさな物語

俺の友人は、昔から少し変わっていた。

いや、正確に言えば「変わった趣味」を持っていた。

骨董品でも、昆虫標本でもない。

彼が集めていたのは「使われなくなったもの」だった。

壊れた目覚まし時計、期限切れの会員証、書きかけで放置された日記。

本人いわく「役目を終えたものの余韻が好き」らしい。

ある休日、俺は久しぶりに彼の部屋を訪れた。

相変わらず、棚という棚が雑然と変なもので埋め尽くされている。

「増えたな」

そう言うと、彼はうれしそうにうなずいた。

「最近、いいのが多くてさ。ちょっと変な本を手に入れて――あ、この秘密の棚にいいものがあるんだ」

彼が指さしたのは、布で覆われた一角だった。なぜかちょっと嫌な予感がする。

「ちょっと見てもいい?」

俺が聞くと、彼は一瞬だけ言葉に詰まった。

「まあ……ちょっとだけなら」

いいものがあると言っておきながら出し渋るとは、どういう了見か。布をめくると、そこにはいくつも箱が並んでいた。

木箱、缶、引き出しの一部のようなもの。大きさも材質も様々だ。

「中身は?」

「――いや、その、使われなかった時間」

「はぁ?」

彼は真顔だった。

「正確には、使われるはずだったのに、使われなかった時間。いらないものならもらってもいいかなって思って」

「……」

意味が分からず、俺はただ黙った。

その瞬間、棚の奥から微かな音がした。

カチ、と乾いた音。

気のせいだと思ったが、彼ははっきりと顔色を変えた。

「今日は、ここまでにしよう」

その日はそれ以上、あの棚の箱の話はしなかった。

だが帰宅してから、妙な違和感が残った。俺の一日が、どこか欠けている気がした。何をしていたのか思い出せない時間がある。電車に乗って、その途中からも曖昧だ。

数日後、また彼の部屋を訪ねた。

あの棚が気になって仕方なかった。

「最近はどう? あの箱はどうなった?」

俺が聞くと、彼は苦笑した。

「ああ、集めてるよ」

しかし棚の箱が一つ減っている気がした。一番正面にあって目立っていたのでなんとなく覚えている。

「箱の配置、変えた?」

「いや、一部戻された」

少し不機嫌そうな顔をしている。

「戻す? どこへ?」

彼は答えなかった。代わりに、別の箱を指さした。

「ごめん。実はこれは君のなんだ」

「俺の?」

なぜか背筋がざわざわする。

「君が使わなかった時間。先週の火曜、夕方六時十七分から二十二分まで」

そんな細かいこと、覚えているはずがない。冷や汗が流れた。言われてみれば、その時間帯の記憶が薄いような気がする。

「ちょっと試してみたかっただけなんだ。返した方がいいか?」

彼は淡々と聞いた。

「それって――どうなるんだ?」

時間をとられて、戻される……。何が起こるのか見当がつかない。

「戻る。何もかもが」

俺は黙った。箱から、またカチ、と音がした。

「いや、いいや。それよりその趣味、やめたほうがいいんじゃないかな」

そう言うと、彼は静かに首を振った。

「もうやめられない。呼ばれるんだ、毎日。人の時間が欲しくてたまらなくなる」

彼は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

彼に何が起こっているのか、わからなかった。少なくともまた妙な趣味にのめり込んでいることは確かだ。そして精神的によくない状況になっている。

その夜、俺は自分の部屋でいつも通り過ごしていた。タブレットで動画を見ながら、コンビニで買った弁当を食う。その後少しだけスマホでゲームをして、シャワーを浴び、ベッドに転がった。

すると、不思議な感覚があった。

何かが体の周りにしゅわっと集まってくるような……直感的に失われた時間が戻ってきたと思った。

しかし思い出そうとすると、逆に今度はどこか欠けていたのか、まったく思い出せなくなってしまった。これが「何もかもが戻る」ということか。

翌日、また彼の部屋を訪ねた。しかし誰も出てこない。

少し待ったが、帰ってくる様子もなかった。連絡を取ろうと試みたが、電話は「この番号は使われていない」という趣旨のアナウンスを繰り返すだけだった。

部屋の前に、いつの間にか古い本と小さなメモが落ちている。さっきはなかったはずだ。

メモには彼の筆跡でこう書かれていた。

「他人の時間を箱の中に動かすには自分の時間を使うしかない。しかし時間をすべて使い切ってしまうと――」

どうやら人とは違う趣味を楽しみたいという欲望が高じて、とんでもないものに手を出してしまったようだ。

俺はメモをポケットに突っ込んで、その場を後にした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました