#552 吠えられる理由

ちいさな物語

隣の家の犬は、俺を見ると必ず吠える。

朝でも、夜でも、距離があっても関係ない。

門の前を通るだけで、低く、しかし確信に満ちた声で吠える。

他の人にはそうでもない。

子どもには尻尾を振り、配達員には警戒の目を向けつつ黙っている。

俺にだけ明確な敵意を向けて吠えかかる。最初は気にしなかった。犬とはそういうものだと思っていた。

だが、「毎日」「俺だけ」となると、不思議に思えてきた。

俺は考え始めた。

もしかして――臭いのだろうか。

毎晩風呂に入っているし、朝顔も洗っている。もちろん服も洗っている。だが犬の嗅覚は人間とは違う。俺にだけ分泌される何か?

物理的なものではなく、恐怖、焦り、諦念、嘲笑。何らかの感情が臭うのかもしれない。

次に思ったのは、顔だ。

鏡を見る。特別に悪人面ではない。普通――だと思う。だが「思う」だけだ。

人は自分の顔を、他者の目で見ることができない。犬にとって、とんでもなく気に障るような顔に見えているのかもしれない。俺の内面が表情として滲み出たものが、見えている可能性もある。何しろ犬だ。他の生命体だ。どんな能力を隠しているのかわかったものではない。

ある日、立ち止まって犬を見返した。「何を吠えているんだ?」と、じっと見つめる。

犬もこちらを見る。真っ直ぐな目をしている。正義はこちらにあるというような目だ。

「何が見えてる?」

思わず口に出した。

突然犬はけたたましく吠えはじめた。その声は、怒りというより、警告に近い。

「こちらに近づくな」というよりは、「そこに存在するな」と言われている気がした。その二つには明確な差がある。近づかなければよい、ということではなく、存在を否定するという点だ。

考えを変えてみる。

犬は未来を見る、という話を聞いたことがある。あるいは未来の臭いを嗅ぐ。

ハチ公物語という映画がある。犬は愛する主人に降りかかる過酷な運命を嗅ぎ取り、けたたましく吠えた。

もしそうなら――俺はこの先、何かをしでかすのかもしれない。連続殺人か、婦女暴行か、動物虐待か、アクセルとブレーキを踏み間違えるか。あんなに吠えるのだからなまなかのことではない。だから今のうちに、吠えている。

そんな妄想が頭をよぎった。そうならば、犬が正しいことになる。俺はここに、この世界に存在してはならない、他者をおびやかす存在だ。

別の日。

疲れて帰宅し、何も考えずに歩いていた。

犬が吠えた。いつもより、激しく。

その瞬間、俺は苛立ちを覚えた。うるさい、と思った。邪魔だ、とも。

自身のその感情に気づいたとき、吠え声が止んだ。

犬は黙って俺を見ていた。そして、ゆっくりと伏せた。

そのとき分かった気がした。犬は俺を嫌っているのではない。

俺の中に生まれる「未分化の感情」に反応しているのではないか。

誰にも向けず、処理されず、溜まっていくもの。それが形になる前に、吠えている。形になれば吠えない。

先ほど、犬に対しての感情は曖昧模糊としていた。それが「苛立ち」に確定した瞬間に犬は吠えるのをやめたのだ。

心が見えている、というよりは、心が形を成してこぼれ落ちる瞬間を、感じ取っている――のではないか。

翌日、また犬の前を通った。

吠えられた。

俺は立ち止まり、何も考えず、心を無にして、ただ呼吸した。

犬は、数秒吠えたあと、口を閉じた。

吠える理由も、吠えるのをやめた理由も分からないままだ。

臭いかもしれない。

顔かもしれない。

未来かもしれない。

だが一つだけ、確かなことがある。

俺は犬に吠えられることで、自分について考えている。自分の何が外部に漏れているのか。それだけで、吠えられる価値はあったと考えることも可能だ。

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