魔法使いとして生計を立てるには、何より堅実であることが重要だ。無駄な戦いはしない。必要以上に目立たない。ギルドの依頼も、地味なものを選ぶのが一番いい。
だから、私は基本的にモンスター退治の依頼は避けている。あれは脳筋戦士や派手好きな魔導士に任せておけばいい。
しかし、その日ギルドに貼り出された依頼は、そんな私の目を引いた。
「不可視の敵を討伐せよ。高額報酬」
……不可視?
透明な魔物か? いや、それなら通常の討伐依頼のはずだ。依頼文の詳細を読んでも、「姿が見えず、存在を証明する手段もないが、確かにいる」としか書かれていない。
こんなあやふやな依頼、普通は誰も受けない。だが、異様なほどの高額報酬が設定されていたためか、ギルドの掲示板の前には数人の冒険者がたむろしていた。
「こんなの詐欺だろ」
「報酬が高いってことは、何か裏があるんだよ」
そんな声を聞きながら、私は静かに依頼書をはがした。周りからバカにするようなため息があがる。
不可視の敵、か……。面白いかもしれない。
依頼主は村の外れの古びた屋敷に住んでいた。噂によるとややボケがはじまっているらしいが、日常生活には支障がないという。少し不安になる。
到着すると魔法学者らしい初老の男が出迎え、開口一番こう言った。
「見えぬが、確かにそこにいるのだ」
「どういうことです?」
男は屋敷の奥へと私を案内した。そこには、何もない。家具もない、ほこり一つない、ただがらんどうの部屋。
「ここにいるのだよ」
「……」
私は黙って杖を構え、部屋の中央に魔法を放った。探知魔法。しかし——何も感知しない。
「無駄だワシも何度も試した」
「本当に、ここに?」
「感じぬか? そこに”視えぬ何か”がいるのを」
私は目を細めた。いや、やはり何もない。しかし、依頼主は確信に満ちた顔でこちらを見ている。「ボケ、か」私は心の中でつぶやいた。
私は静かにもう一つの魔法を唱えた。
——『見えざるものを視る目よ、開け』
次の瞬間、部屋の中央に”何か”が、いるのがわかった。探知魔法にかからなかったのは「そこには何もいなかった」からなのだか、見えざるものを視る目はもっと曖昧なものも映しだす。それは思念のようなものだ。
ぼんやりとした影。輪郭もはっきりしない、だが確かにそこに存在するもの。
「これが、“不可視の敵”ですか」
「おお、見えたのか!」
依頼主が興奮して近づく。私は慎重に距離を保った。魔力の波動を読んでみる。……敵意は感じない。敵意という表現自体がおかしいかもそれないが、少なくとも悪い思念ではない。
「これは、敵ではないですね」
「な、何?」
「これは……“世界に忘れられた存在”です」
不可視の敵——それは、世界の記憶からこぼれ落ちたもの。もはや誰にも認識されず、それゆえに姿を失い、それでも”いる”という事実だけが残ったもの。
「おそらく、この屋敷のかつての住人か、あるいはもっと別の”何か”だったのかもしれません」
依頼主は驚いた顔をしていたが、やがて静かに頷いた。
「それは何だ?」
「”思い出す”ことが必要です」
私は再び魔法を使って、屋敷の床や壁に残る魔力の残滓を探った。そして、ぽつりと言った。
「……この部屋、かつては書斎でしたね」
依頼主は目を見開いた。
「ああ、確かに。よく本を読んでいた」
「誰がです?」
老人は困惑したように部屋を見渡す。それからゆっくりとその場に膝をついた。
「私の理論だったんだ。私が……。妻がそれを、詠唱して、それでここで、この部屋で……。私があんなものを書かなければ……」
魔法理論の組み立てミスか。学者先生は自分で魔法を使わないから変なミスをするんだよな。こういうことがないこともないけど、人が一人が存在ごと消えるというのはめずらしい。それに……興味深い。残滓を確認するにずいぶん前の事件らしい。
記憶が呼び戻されると、影は少しずつ薄くなっていった。そして、最後にぼんやりとした声が聞こえる。
——あなたは悪くないわ。
そして気配は完全に消え去った。
敵と認識したのは要するに自分の罪悪感が原因だったということか。
依頼主は深々と頭を下げ、私はたっぷりと報酬を受け取って屋敷を後にした。原因となった理論が見たいと頼んでみたが、危険なので燃やしてしまったらしい。
地味なのはいいとして、後味が悪いのでこういう依頼は好ましくない。それでもまあ、結果としては役に立ったわけだし、世間的には悪くない仕事だったのかもしれない。「倒せ」「殺せ」の仕事よりはマシという話だが。
数日後、ギルドにまた貼り紙が出た。
「不可視の敵を討伐せよ。高額報酬」
ボケてるんだよなあと、私はその紙をそっとはがした。
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