町はずれの小さな神社に、野良猫がよく集まる場所があった。
僕は昔からその猫たちを眺めるのが好きで、暇があればよく通っていた。
今日も境内の石段に腰を下ろし、猫たちが気ままに歩き回るのを眺めていた。
毛づくろいをする者、昼寝をする者、鳥を狙ってじっと構える者。
「いいなあ、お前たちは……」
つぶやいた瞬間、不意に声がした。
「そんなこともないぞ」
驚いて周囲を見回すが、誰もいない。
……いや、一匹だけ、こちらをじっと見つめている猫がいた。
黒と白のまだら模様の大きな猫。
どこか年季の入った貫禄がある。
「よく考えてみるがいい」
——猫がしゃべった。
「え、ええと……」
驚きすぎて、言葉が出ない。
「お前、人間というのは勝手なものよ」
猫はゆっくりと前足をなめ、ため息のように息をついた。
「最近の世の中を見てみろ。何でも人間の都合で決まる」
「えっと……?」
「たとえば、餌をくれる人間がいるだろう。だがな、あの人間が引っ越してしまったら? いきなり飢えるのは誰だ?」
猫の視線が鋭くなる。
「野良猫に餌をやるなと言う者もいる。まあ、勝手にやられるのも迷惑かもしれん。だが、じゃあどうしろというのか?」
「そ、それは……」
「人間は便利な言葉を作る。『責任』とか『管理』とか。だが、それは結局、人間が自分の世界を都合よく整えるための言葉にすぎん。他の存在には適用されないはずだが、なぜかわしも人間の社会に組み込もうとする」
僕は黙って猫を見つめた。
猫はしばらくじっと僕を見返していたが、やがてふっと目を細めた。
「おっと、すまんすまん。つい愚痴っぽくなったな。お前さんにいっても仕方ないこと」
そう言って、猫はゆっくりと伸びをした。
「まあ、あまり気にするな。我々は、ただいるだけの存在だからな。人間をよくしたり、悪くしたりはせん」
「……君は、何者なんだ?」
「私は、この神社の……お前たちが『神』とか呼んでいるものだ」
猫の姿の神さま?
そんな話、聞いたことはない。
でも、目の前で猫がしゃべっているのだから、否定することができない。
「お前、人間なら人間らしく大騒ぎして動画を撮ったり、他の人間を呼んだりすればよいではないか。ただ猫を眺めたりして過ごすなんて、変な人間がいるものだ」
猫神さまはくつくつと笑いながらするりと塀を越えて去っていった。
それから、神社に行っても、あの猫神さまには会えなかった。
ただ、今までよりも猫たちの表情が気になるようになる。別の姿で野良猫に混ざっているかもしれない。しかしあれから一度も猫には話しかけられていない。
ふと、カレンダーが目に入る。
あ、そうか、あの日、猫神さまに話しかけられた日は猫の日だったんだ。人間のことを愚痴りながら、人間の暦――というかただの語呂合わせの猫の日にわざわざ猫の姿で現れるなんて、おもしろい神さまだ。
「人間は勝手なものよ」
あの言葉が、今も頭の片隅に残っている。
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