#177 納豆の糸

ちいさな物語

納豆が好きだ。

昔から毎朝、白いご飯にかけて食べるのが習慣だ。

混ぜる回数はきっちり三十回と決めていて、醤油は少なめ、ネギはたっぷり。今日も同じように朝食を楽しむはずだった。

その日、納豆の糸が妙に丈夫だった。

器から口へ運ぶ途中で切れることなく、まるでゴムのように伸び続ける。食べにくくて、指でちぎろうとしても切れない。仕方なく箸で巻き取って無理やり口に入れた。味は変わらないが、ちょっと繊維を感じる。

その日はそれで済んだのだけれど、翌日になるとまた異常に伸びた。しかも、昨日より長い。

とうとう器を持っても、糸の先端がテーブルの下まで伸びてしまった。なにかの冗談かと思いながらも、その日もそのまま納豆を食べた。

日を追うごとに糸は長くなり、いつしか部屋中に広がるようになった。毎朝起きると、納豆の糸が床を這い、壁を覆い、天井から垂れている。

これは一体どういうことなのか。納豆の原材料名を見るが、おかしなところはない。ただメーカーは聞いたことがない会社だ。毎日食べるので、その日スーパーで一番安いものを買うようにしている。

もしかしてこのメーカーが変なのか。インターネットで調べてみるが、とても小さな会社のようで情報が少ない。その少ない情報も別段不審な点は見当たらなかった。結局、何もわからない。

僕は考えることをやめ、ただ毎朝淡々と納豆の糸を巻き取り、食べ続けた。

やがて家から出ることも難しくなった。玄関を開けると、糸が外へ向かって伸びていく。

その糸は、僕の身体から伸びていることに、ある朝気づいた。

糸は僕自身の手足や背中から生まれ、納豆を食べるほど増殖し、長く伸びてゆくのだ。

それでも僕は納豆を食べることをやめられない。明らかな異常事態だが、なぜか止まらなかった。もうすでに体の一部が納豆の糸に溶け込み、一体化しているようだ。

数ヶ月が過ぎ、僕は完全に納豆の糸に絡め取られてしまった。

自分が人間なのか納豆なのか、境界線は曖昧になり、ぼんやりと糸の世界に漂っている。もう外の世界がどんなものだったのか、思い出せない。

ある日、ふと自宅の窓から誰かがのぞき込む気配がした。見知らぬ男性が驚きながらも、うれしそうに叫んでいる。

「これは見事だ、素晴らしい納豆だ!」

僕は気づいた。

自分はもう人間ではなく、納豆としての人生を歩み始めていたのだ。男性は納豆の糸を丁寧に巻き取りながら、僕に話しかけた。

「あなたほど立派な納豆は見たことがない。ぜひ、全国の納豆好きに味わってほしい」

奇妙な誇らしさが僕の胸に湧き上がる。納豆としてこれほど褒められ、認められる日が来るとは想像もしなかった。

僕は静かに納豆としての運命を受け入れた。明日もまた誰かが僕を混ぜ、糸を伸ばし、その奇妙な味を楽しむのだろう。

納豆の糸に囚われた僕は、妙な満足感とともに糸の中で眠りについた。

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