あれは3年前の秋の夜だった。残業帰りの深夜、駅前の自販機でコーヒーを買ってたんだ。ふと振り返ると、そこにいたのが、着流し姿の男だった。いや、普通の着流しじゃない。腰に刀を差して、髷を結った、まさに時代劇から飛び出してきたみたいな侍だ。
俺は一瞬、酔っ払いが仮装でもしてるのかと思った。けど、近づいてくる彼の目が違ったんだ。鋭くて、本物の武士の目。そいつは俺に向かって頭を下げると、「ここはどこか?」って聞いてきた。
正直、驚きすぎて頭が真っ白になった。意味はわかるし日本語なんだけど、なんか違うんだよ。イントネーション? いや、何だろう。全体的にすごい違和感があって。
とりあえず最寄りの駅名を教えると、彼は「ふむ」とうなずいて、「江戸から参った」と続けた。冗談だろ?と思いつつ、彼の姿を見ると、どうも冗談には思えない。服も、刀も、動きも本物そのものなんだ。本物なんて見たことないけど。
話を聞くと、彼は江戸城に仕える下級武士で、主君の命令でとある神社を調べに行ったところ、不思議な光に包まれ、気づけばここに来てしまったらしい。
とても信じられるような出来事じゃなかったけど、彼が嘘をついているようには見えなかった。興味もあったし、とりあえず公園のベンチに座って、簡単な現代のルールを教えた。電車の乗り方、スマホの使い方、カフェでの注文の仕方まで。今はほら、スマホで動画とか見せれるでしょ? だからわりと幅広く説明できたよ。時間はかかったけどな。
最初は戸惑ってたけど、侍は飲み込みが早かった。歴史とかで習ったけど武士って子供の頃から勉強なんかもちゃんとやるんだろ? 頭いいんだろうな、基本。
その後? 公園のベンチの下で寝泊まりするって……。何かの縁だし、飯くらいは持ってったりしたかな。悪い人じゃなかったよ。
でも、数日後、突然彼は俺の前から消えたんだ。何の前触れもなく。あの日、彼がベンチの下に残したのは一言だけの俺へとメモ「御心遣い感謝致す。」それから小さい乱雑な紙の束だった。
その紙には現代の風景がスケッチされていた。この公園の遊具、電柱、自販機、コンビニ、車、どれも日中に彼が見たものを記録として描いたらしい。絵には現代ルールのメモがそえられていた。
いまだに、あの侍がどこから来て、どこに消えたのか分からない。でもこの間すごくそっくりな人を見たんだ。駅で。髪はさっぱりとツーブロックにしてて、スーツで満員電車に押し込まれてたんだ。さすがにただの似てる人だよな。
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