江戸時代、深川の外れに「狐火そば」というそば屋があった。その名は、店先に夜ごと灯る不思議な青白い光に由来する。店主の弥助といっては寡黙で愛想はなかったが、打つ蕎麦は江戸一だと皆「噂で」知っていた。
なぜならそれを食べた者に直接聞いたわけではないからだ。噂ではその江戸一の蕎麦を食べて店を出たものはいないのだという。店が丑三つ時に開くことと、店先の不思議な青白い光も相まって、実際に客がいたのか定かではない。
ある日、噂に興味を持った若い旗本の次男坊、松木新三郎が「狐火そば」を訪れてみることにした。
月の薄明かりが闇を照らす頃、新三郎は蕎麦屋の暖簾をくぐった。店内には他に客はおらず、静まり返っている。カウンターの奥に立つ弥助に、「蕎麦をいただきたい」と声をかけると、弥助は一言も発せず黙々と蕎麦を打ち始めた。
ほどなく運ばれてきた蕎麦は、ごくごく普通の二八蕎麦。新三郎はやや落胆しつつも一口啜ると、その滑らかな舌触りと香り高い味わいに、言葉を失った。
「これが江戸一の蕎麦か」と感嘆した次の瞬間、体に異変を感じた。視界がぼやけ、耳元で微かに笑い声が聞こえる。
気づくと彼は雑木林の切り株に腰かけ、二本の小枝を箸のように持っていた。その様子をじっと見ていた弥助の口がにぃっと耳元まで避け、耳が大きく立ちあがる。
「おのれ、あやかしか!」
新三郎は慌てて腰のものに手を伸ばそうとするが、体が動かない。
いつのまにか弥助の背後に大きな朱塗りの鳥居が立っていた。どこからか数匹の狐が取り囲み、月光に照らされた彼を嘲笑うように回り出す。
「すべて食らいましたな、お侍様よ」
「もう元には戻れませぬぞ」
翌朝、そば屋「狐火そば」の前には懐紙が一枚落ちていた。懐紙には蕎麦がとてもうまかったこと、自分もひとつの道を極めたいので旅に出ることなどが走り書きされていた。
それは新三郎の親族の手に渡り、確かに新三郎の手によるものだとたしかめられた。江戸一の蕎麦は誠であったかと、人々はまた噂した。
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