#593 間違い電話

ちいさな物語

Aという男は、顔はふつう、成績もふつう、運動もそこそこ――なのにとある事象だけが異常だった。

それは、モテるとか、営業がうまいとか、そういうポジティブな異常ではない。

間違い電話が、意味わからん頻度でかかってくるのである。

今どき? 今どき間違い電話?

そう思われるのももっともだ。

本当にAのスマホだけ、なぜか昭和みたいな勢いでかかってくるのだ。

最初はおもしろい偶然だと笑っていた。

ある日などは大学の講義中にAのスマホが震えた。講義中なのにAは当たり前のように電話に出る。

教授は学生が何をしていようと自分のペースで講義を続ける人なので問題ないが、盗み見たAの顔がみるみる曇っていった。

何かと思って後から聞いたら、電話の向こうで中年女性が怒鳴っていたらしい。

「昨日の件、どう落とし前つける気!?」

Aは小声で「いや、あの、誰ですか」と返した。

すると相手はさらにヒートアップした。

「しらばっくれる気!? そういうところよ、浩二!」と、きたらしい。

誰だよ浩二って。もちろんAは浩二じゃない。

浩二に何があったというのか。何をしたんだ浩二。

Aはその電話を切ったあと、しばらく窓の外を見てぼんやりしていた。

自分の人生に一切関係ない修羅場の余韻に疲弊している様子だった。すぐに電話を切ってしまえばよかったのに。

そしてなんと、翌日もかかってきた。間違い電話が。

駅前で待ち合わせしていたら、Aのスマホが鳴る。出るなりAはきょとんと目を丸くした。

「帰りに牛乳買ってきて。あと卵も。Lサイズね」と、言っていたらしい。

Aは反射的に「了解」と言ってしまっていた。

なんでだよ。そこはまず「違います」だろ。

しかしAは真顔で言った。

「いや、あまりに指示が自然すぎて、つい」

「つい、じゃないだろ」

だが問題は、Aがその後ほんの少しだけ、上の空で歩いていたことだ。

「どうかしたのか?」

「いや、さっきの電話の家は牛乳と卵がないんだよな。子供がいたらかわいそうだな」

無駄に責任を感じている。間違い電話に。

「お前は悪くない。相手を確認せずに要件だけまくし立てるなんておかしいだろ。――というか、なんでそんなに間違えるんだよ。このご時世に」

いまだに指でダイヤルを回しているのだろうか。

「でも、うっかり返事をしてしまったからな……」

折り返そうにも、Aにかかってくる間違い電話のほとんどが非通知なのだ。

さらに次の日は、水道トラブルだった。

昼休み、食堂でAが電話に出ると、向こうで半泣きの男が叫んだ。

「水が止まらないんです! 台所がもう川なんです! 助けてください!」

スピーカーモードになっていないのにこっちにまで聞こえてくる大声だ。

俺は「切れ、切れ」と手を振ってジェスチャーを送った。水道業者じゃないんだよ。

しかし、Aは切らない。

「大丈夫ですから、まず落ち着いてください。止水栓はわかりますか? シンクの下の……え? わからない? お住まいは戸建てですか? マンションですか?」

なんで対応してるんだよ。知らない人の家の漏水なんて専門家に任せておけばいいだろう。

「あ、ダメです。インターネット検索で出てきた業者に電話をしないでください。落ち着いて。お住まいの市のホームページを開いてください。そうです。そこに市指定給水装置工事事業者というものがないか探してください。ええ、何社か載っていると思います。今日この時間に対応できる業者を……そうです。それで大丈夫です」

数分後、Aは静かに目を閉じて頷き、電話を切った。

「何とかなりそうだ」

やり切ったような顔をしている。お人好しというかなんというか……。

Aは間違い電話への対応がどんどん洗練されていった。

怒鳴り声には諭すようなやさしい声で、家庭連絡は実務的に対応、トラブル相談は冷静に相手を落ち着ける。

この男、向いている。確実に間違い電話に向いている。

極めつけは金曜の夜だった。

飲み会の最中、Aのスマホが鳴る。Aは自然な動きでスマホを取り、慣れた仕草でスピーカーモードにした。

お人好しのAが心配で、俺が毎回、間違い電話に出るときはそうするように言っていたのだ。

すると一拍置いて、やけに小声の男が言った。

「例のブツ、港に着いた」

俺とAは顔を見合わせる。ついに来た。犯罪系間違い電話。

しかし次の瞬間、Aはなぜかものすごく落ち着いた声で言った。

「今回はやめておいたほうがいい。情報が漏れている」

おいおい、そんなのに首をつっこむな。確かに今、情報は漏れたのだが。

俺は顔の前でぶんぶんと手を振って「よせ、よせ」とジェスチャーを送った。

いくらなんでも対応しすぎだ。

向こうの男も沈黙したあと、「……そうか。撤退する」と言って切った。

止まった? そんなことある!?

犯罪っぽいものが、Aの一言で食い止められたのか? もちろん根本的に止まったわけではないだろうが、何なんだその謎の抑止力は。

「A、お前の電話番号、ほんとに普通なのか? いや、なんというか、もともと飛ばしの携帯電話番号だったとかそういうのじゃないのか」

Aは少し考えてから言った。

「いや、この番号、高校の頃からずっと使ってるから……」

でもその一週間後、俺はまた奇妙な間違い電話を聞いた。

Aの家でだらだらしていたとき、また着信があったのだ。Aがスピーカーにすると、老婦人の声がした。

「あの、予約したいんですけど」

Aは慣れた調子で聞く。

「何のご予約でしょう」

「占いです」

占い!? 新ジャンル来た!

床でポテトチップを食べながらごろごろしていた俺は、ガバッと起き上がった。

さすがのAも「違う番号です」と言おうとしたようだったが、老婦人は立て続けに話しだした。

「前に一度、お電話で占っていただいて――それが、よく当たったので」

Aと俺は顔を見合わせた。Aはただの文学部だ。未来を見るどころか課題の提出期限すら守れない男だ。

ところが老婦人が言った日時を聞いて、Aが「あ」と声を上げた。

その日、Aは酔って知らない番号からの電話に三十分つきあい、「明日は南に行かないでください」「白い靴はやめたほうがいい」と酔いにまかせて適当なことをしゃべり散らかしていたらしい。

俺はその場にいなかったので知らなかったが、占い師、爆誕してたのかよ。

A本人は占いのつもりはまったくなく、ただただ酔っぱらいの世迷い言と聞き流されると思っていたらしい。

「先生のおかげで人生が好転しました」

いやいやいや。俺はあきれて首を振った。

「では、ご予約を承ります。ただし占いはお電話のみで対面ではやっておりません」

はあ?

また顔の前で大きく手を振った。何を考えているんだ、こいつは。

それからAのもとには、間違い電話なのか、口コミなのか、運命のバグなのかわからない電話が増え続けた。

夕飯の相談、鍵の閉じ込み、クリーニングの受け取り依頼、保育園からの発熱の連絡、引き続き占い予約、オレオレ詐欺の電話、同窓会のお誘い、わんわんと犬の鳴き声だけが聞こえ続けることもあった。

Aはそのすべてに対応可能になっていた。もちろん犬とも「わんわん」としゃべっていた。

全部いったん受け止める。そして必ずこう言う。

「おかけになった番号はたぶん間違っているんですが、その話、もう少し聞きましょうか」

世の中の「ちょっと困った」「ちょっと聞いてよ」が、なぜかAに集まっている。

たぶん番号の問題ではない。Aの人の良さ、人徳の誤作動である。

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