かつて、ネクタイを締め、窮屈なジャケットに身を包んで通勤していた時代があった。
今となっては、それは歴史の教科書に載る「非効率な時代の奇習」として片付けられている。
在宅勤務が完全に定着した現在、社会の価値観は一変した。
「移動時間は無駄」「化粧や着替えに要する時間は生産性の敵」という考えが一般化し、ついに部屋着がビジネスにおける「正装」として認められるようになったのだ。
着替えや化粧、整髪に使う十五分があれば、メールを三本返せる。
「合理的な人間ほど、着飾らない」
リモート会議の画面に映る姿は、その人物がいかに「自室での生活を最適化し、仕事に全振りしているか」を示す指標となった。
――では、望ましい部屋着とはどういうものか。
まず清潔感は必須。ここは変わらない。
だが、きれい過ぎる新品の服は「非合理な買い物」を連想させ、派手なブランドロゴは「虚栄心」を疑われる。これらは望ましいとはいえない。
かといってボロボロすぎれば「管理能力の欠如」と見なされるのは以前の通りで、そのラインの見極めが非常に難しい。
月曜の朝会では、営業二課の森下さんが中学時代のジャージで現れた。
えんじ色に白い二本線。胸元に校章と「◯◯中学校」という刺繍までついている。
画面に映った瞬間、チャット欄が静かにざわついた。
「森下さん、あるものを流用している感が合理的」
「これが真の部屋着だ」
「仕事できそうな感じが半端ない」
午後には、森下さんが新規案件の主担当に選ばれたという発表があった。
偶然かもしれないが、部屋着の印象は重要であるという社内の不文律を、より強固にした出来事だった。
一方で、うちの課長は無地のグレーのスウェットを何年も着倒していて、ほんの少し襟元が伸びかけているところも含めて評価が高い。
伸び切るとみっともないが、その「伸びかけている」塩梅が秀逸だった。あれはもう風格だ。
誰もが「ああいうのが本物」と言う。本物の何なのかは誰も説明できないのに、全員がうなずいていた。
反対に、総務の部長が会議で作務衣を着てきた日は別の意味でざわついた。
紺地に細い縞。質のいい麻。湯呑でも持てば旅館の主人にしか見えない。部屋着には違いないだろうが、ちょっとカッコよく見せようとしているような作為が感じられる。
部長は落ち着いた声で収支報告を終えたが、会議後、同僚たちだけの私的なチャットスペースではかなり微妙な意見が並んだ。
気の毒だと思ったが、私も部長の部屋着には賛同しかねた。
部屋着としては、ちょっとかっこよすぎる。「イケおじ」を気取っている感じが反発を呼ぶのだろう。
しかし、同僚たちの裏チャットを見るにつけ、私は会議前に服を選ぶのが怖くなった。自分の知らないところで部屋着に対して何か言われているのではないかと心配になる。
シャツは論外だとして、では無難なパーカーはどうか。
それより、いわゆるバカTというやつも、いかにも部屋着っぽくていいかもしれない。
いや、奇妙なイラストや文字が入っていると自己主張が強いと思われそうだ。
しかし、無地だと守りに入って見えるかもしれない。
いろいろ考えていると、森下さんの部屋着『中学ジャージ』がいかに洗練されたものなのかがわかってくる。
私は会議の十分前からカメラの前で自分の部屋着の映り具合を確認するようになった。
ある朝、人事部から新しい評価制度の案内が届いた。
文末に小さく、こう添えられていた。
在宅勤務環境における礼装意識も、総合的な業務姿勢として参考にします。
「参考にします」という文言が嫌だ。数値化されないものほど、恐ろしいものはない。
その週から、私はウェブ会議や打ち合わせがあるたびに憂鬱になっていた。
部屋着に悩む時間が日に日に増えていく。毎回同じ部屋着では清潔感を疑われる。かといって、取っ替え引っ替え違う部屋着というのも、浪費している印象を与えかねない。
私は意を決して、父のおさがりの古いトレーナーを着た。
少し色あせていて、肘だけが擦り切れてテカテカ光っている。ここが自然な生活感だと思ったのだ。
会議が始まり、私はいつもより滑らかに報告できた。画面に映る自分の姿が、いつもよりこなれて見える。
部長も課長も私の報告に静かにうなずいていた。
「よし、完璧だった」とそう思ったとき、ピコンとチャットが1件入った。
「その自然な生活感のあるトレーナー、すごくいいですね。どこの古着屋で買いました?」
送信者は森下さんだった。冗談なのか本気なのか、わからない。
しかし、なるほど。
古着屋で適度にくたびれた部屋着を調達すれば、バカ正直に家の中を探すより効率がいい。森下さんは、そうやってセンスのいい部屋着を入手していたのか。
会議のあと、課長から全員宛にメッセージが届いた。
「最近、みんな疲れているように見えるな。きちんと睡眠をとって、健康にも気を遣うように」
そういえば、自分の部屋着がどう映るかばかり気にして、同僚たちの顔なんてよく見ていなかった。
みんな疲れているのか……。
翌週、部長は作務衣をやめ、無地のTシャツになった。やや「新品感」は否めないが、作務衣より無難な選択だ。
どこかから作務衣が不評であることを聞いたのかもしれない。
部屋着が正装になって、身支度にかかる時間を有効に活用できるはずだったのに、なんだか余計に疲れている。
最近の部屋着は、正解のない制服みたいだ。
今日も会議の数分前、私はウェブカメラに映る自分を微調整している。
乱れすぎず、整いすぎず、部屋でリラックスしながら、仕事にフルコミットしている自分を演出する。
それが正義になった世界は、少しだけスーツにネクタイよりも息苦しいのかもしれない。


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