#595 夜をつかまえた

ちいさな物語

なあ、信じてくれるか分からないけど、俺、「夜」を飼ってたことがあるんだ。

いや、比喩じゃなくて文字通りの意味でさ。

あの日、まだ空が白み始めたばかりの午前五時くらいだったかな。散歩に出ようとしたら、マンションの植え込みの下に、なんだか黒くてキラキラした塊が落ちていたんだ。

誰かが捨てたスパンコールのクッションかと思った。でも、そいつは呼吸みたいに、ゆっくりと明滅してたんだ。

手を伸ばして触ってみると、指先がひんやりとして、まるで溶け残った氷みたいな感触だった。でも手が濡れるわけじゃない。

大きさは手のひらより少し大きいくらいだったな。

気になって、それを両手でそっと掬い上げて部屋に持ち帰ったんだよ。

家にある古びた金魚鉢にそのまま放り込んで、机の上に置いてみた。

それが「夜」だって気づくのに、そう時間はかからなかったな。

金魚鉢の中のそいつは、昼間でもずっと暗いままで、時々小さな、本当に砂粒みたいな星をプーッと吐き出すんだ。

星を吐くとそいつは少ししぼんで、逆に部屋の隅にある影を吸い込むと、またパンパンに膨らむ。

見ていて全然飽きなかった。

銀河を丸ごと閉じ込めたような、そんな贅沢な眺めなんて世界中のどこにもないだろう?

でもさ、ある日遊びに来た友人のサトシに見せたら、あいつ、顔を真っ青にして言ったんだ。

「お前、それ野生の夜だろ? つかまえるのは違法だぞ。生態系が狂ったらどうするんだ」ってな。

冗談だと思ったけど、あいつの目はマジだった。

「夜を私物化するのは、時間を盗むのと同じ重罪だ。早く元の場所に戻せ」

そう警告されたけど、俺はどうしても手放せなかったんだよ。

だって、夜中に電気を消すと、俺の部屋だけが完璧な、純粋な夜に包まれるんだ。こんな素敵なことってないだろ?

金魚鉢の中で回る小さな星々を眺めていると、自分が神様にでもなったような気分になれた。

だけど、異変はすぐにやってきた。

三日前の夜中、窓の外が急に騒がしくなったんだ。

風もないのに木々が激しくざわついて、何かが空から降りてくるような重苦しい空気に変わった。

カーテンの隙間から覗いたら、そこには巨大な、それこそビルひとつを飲み込むような漆黒の影があった。あの「夜」をそのまま大きくしたような闇だった。

そいつは意志を持っているみたいに、俺の部屋の窓に張り付いた。おそらく、俺が隠し持っている「夜」を迎えに来たんだろうな。

窓の外はもう、夜を通り越して「無」に近い暗闇になっていた。

俺は怖くなって、とっさに金魚鉢をクローゼットの奥に隠して、上から古い毛布を何枚も被せた。

返したくなかったんだ。

こいつがいなくなったら、俺の部屋はただの、どこにでもある退屈なワンルームに戻ってしまう。

その瞬間だった。

バキバキと窓ガラスが割れる音がして、部屋の中にドロリとした夜が流れ込んできた。

怒った夜が、俺を包み込みに来たんだよ。

叫ぼうとしたけど、口の中に冷たい闇が入り込んできて、声が出なかった。

俺の体は、自分の影と境界線がなくなるみたいに、どんどん暗闇に溶けていった。まるで夜に食べられていくように。

足先から感覚が消えて、ただ星のまたたきだけが脳裏に焼き付いて……。

気がついたら、俺はあの植え込みの前に倒れていた。

体は元通りだったけど、ひとつだけ変わったことがある。

今でも、目を閉じるとまぶたの裏にあの金魚鉢の中の星が見えるんだ。

それだけじゃない。

俺の吐く息に、たまにキラキラと光る砂のようなものが混じっているのに、君は気づいたかい?

そう、俺自身が半分、夜になってしまったのかもしれないな。これ、内緒だ。野生の「夜」をつかまえたことがバレちゃうからな。

でもまたあの大きな夜が迎えに来たら、俺は本当に夜になってしまうのかもしれないな。

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