ちいさな物語

#249 五月闇の雨宿り

梅雨入りしたばかりの夜は、やわらかいはずの町の灯りさえ、空に溶けていく。空は厚い雲でふさがれ、月も星も気配すらない。空からは細く長い雨がしきりに降りそそぎ、町全体が水のヴェールで覆われているようだ。この時期の夜を、「五月闇」と呼ぶらしい。た...
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#248 エレベーターのボタン全部押す係

夜のマンションには謎の「ボタン全部押す係」が現れるようだ。最上階から地下まで、全部の階を律儀に巡る彼(あるいは彼女)は、一体何者なのか? そして、住人たちはなぜか誰も驚かない――。 「また全部押されてる……」 エレベーターの扉が開くと、見慣...
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#247 屋根裏の住人

古い一軒家に引っ越して三か月が経つ。風呂場の換気扇はうるさく、壁は薄く、キッチンの床はぎしぎしと鳴る。だが駅近で家賃も安い。築六十年の割にはお得な物件だと自分に言い聞かせていた。最初に違和感を覚えたのは、夜中の天井の向こうから聞こえる“足音...
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#246 オットイアの棲む家

「ねえ、“オットイア”って知ってる?」友人の紗織が、砂糖を入れたコーヒーを混ぜながら不意に言った。主婦たちの集まりの中、ざわつくスーパーのフードコート。涼しい木曜日の午後、いちばん空気がゆるむ時間帯。「夫嫌って書いて、“オットイア”」初めて...
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#245 金魚すくいと約束

その夏、私は友人とふたり、町はずれの小さな神社で開かれる夏祭りに出かけた。屋台が並び、浴衣姿の人波がざわめく。けれど私たちの目的は、毎年この祭りにだけ現れるという“幻の夜店”だった。「今年こそ、見つけたいね」そう言って、友人の茜は私の手を引...
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#244 その箱は開けないで

その朝、家の前に小さな箱が置かれていた。黒いガムテープで封がされ、伝票らしきものは何も貼られていない。手書きの文字で、ただ一言だけが書かれた白い紙が貼られている。「開けないでください」差出人も、宛名も、何もない。だがその文字は、まるで自分に...
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#243 小石のバトン

それはただの、小石だった。歩道に落ちた、丸く削られた白い小石。加工されたものであることは一目瞭然。どこかの敷地に敷き詰められていたものを、子どもが拾って遊んでいたのだろう。通行人が意図せずそれを蹴飛ばし、転がった先は、都内の静かな住宅街の交...
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#242 冷蔵庫の狂気

引っ越し先のアパートには、備え付けの冷蔵庫があった。真っ白な本体は古びていて、冷蔵庫というより巨大な棺桶に見えなくもない。前の住人が置いていったものらしく、家主も「処分していい」と言っていたが、昨今家電を捨てるのにも金がかかる。どうせ必要な...
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#241 空蝕

最初にそれが起きたのは、静岡県の浜松市だった。ある晴れた午後、駅前のロータリーで、ひとりの若者がふいに「消えた」。監視カメラの映像には、奇妙な瞬間が記録されていた。若者が歩いていた位置――空間が、まるで破れたように歪み、空間の“色”が変わっ...
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#240 夢の原液を売る店

「ねえ、あれ見た?」そんな噂からすべては始まった。通学路の途中、古ぼけたレンガ塀の裏に、いつのまにか現れていた露店。店というには奇妙で、店員らしき人物もいない。ただ、古い木の台が置かれ、その上に小瓶が並んでいるだけ。野菜の無人販売所といった...