ねえ、ちょっと聞いてくれますか?
これ、誰かに話したくてたまらなかったんですよ。信じられないかもしれないけれど、つい先週、本当にあった話なんです。
舞台は、あの悪名高い「少女連続失踪事件」を解決した直後のこと。
僕の相棒であるあの探偵――名前は伏せますが、皆さんも新聞で見かけたことがあるはずです――と僕は、休暇として静かな海辺の町に来ていたんです。
本来なら、最高のはずですよね?
こぢんまりとしたホテルのテラスで波音を聞き、紅茶を飲みながら、特製のスコーンにたっぷりのクロテッドクリームをつけて頬張る。
でもね、あの人は普通じゃないんです。
事件という名の薬物を摂取し続けていないと、精神の均衡が保てないヤク中……おっと、「知性の怪物」なんですよ。
三日目にして、彼はもう限界でした。
ホテルの部屋の壁紙にある模様の数を数え終わり、ルームサービスの給仕が運んできた銀食器の反射角を計算し尽くし、ついには絨毯の繊維の長さを測り始めました。
死んだ魚のような目で僕を見て、彼はこう呟いたんです。
「……助手くん。この町には、道に落ちているゴミひとつ、計算から外れた動きをしないのかい?」
もう、見ていられませんでした。
彼が退屈のあまり、ホテルの配電盤を分解してわざとボヤ騒ぎでも起こしかねない雰囲気だったからです。
僕は決心しました。
「僕が、何か事件の種を見つけてきます。あなたはここで、せめてその……紅茶の温度変化でも記録していてください」
そう言い残して、僕は町へ飛び出しました。
目的はただ一つ。彼の知的好奇心を刺激するような、ちょっとした「謎」を見つけること。
財布を盗まれた人、浮気現場を目撃した人、あるいは迷子の猫一匹でもいい。
何かあれば、彼はまた生き生きと推理を始めるはずだ。
ところが、どうでしょう。
この町は、呪われていると言いたくなるほど「平和」そのものでした。
市場へ行けば、誰もが笑顔で挨拶を交わしている。路地裏を覗けば、猫は日向ぼっこをしながら欠伸をしている。
交番の巡査に「何かお困りごとは?」と聞けば、「平和すぎて、さっきから落とし物のハンカチをアイロンがけしているところだよ」なんて返ってくる始末。
三時間ほど歩き回りましたが、収穫はゼロ。
僕は公園のベンチに座り込み、頭を抱えました。このまま手ぶらで帰れば、あの探偵は退屈のあまり、僕の過去の失敗を時系列順に論理的に批判し始めるに違いありません。それは死んでも避けたい。
その時、ふと思い出したんです。
この町の郊外にある、古い時計塔。
そこには、僕らがあと一歩のところで逃し続けている宿敵、怪盗ベルバーが潜伏しているという極秘情報を。極秘といいつつも、これは公然の秘密だった。
どうしてそういうことになっているのかというと――説明は難しいのだが、物語の都合上とだけ言っておきましょう。
とにかく僕にはこの選択肢しか見えなくなってしまいました。僕は狂っていたんです。
探偵のあの「退屈しきった顔」を消すためなら、悪魔とだって契約したかった。
僕は息を切らして時計塔へ向かいました。
隠し扉の仕組みなんて、彼と一緒にいれば嫌でも覚えます。
数分後、僕はベルバーの「根城」へと足を踏み入れていました。
そこは驚くほど優雅な空間でした。
盗み出された名画の数々に囲まれて、シルクのガウンを羽織った男――ベルバーが、優雅にワインを傾けていたんです。
「おや……探偵くんのところの子犬ちゃんじゃないか。今は休暇中だろう?」
彼は余裕の笑みを浮かべて言いました。
僕は彼にすがりつかんばかりの勢いで詰め寄り、こう叫びました。
「頼む、ベルバー! 今すぐ、何かを盗んでくれ!」
ベルバーは、持っていたグラスを落としそうになりました。
「……は?」
「今すぐだ。場所はあのホテルの305号室。ターゲットは、あの探偵が大切にしているヴィンテージの万年筆だ。いや、なんなら僕の靴下でもいい! 何か適当に『事件』を起こして、彼を挑発してくれ!」
僕は必死でした。
ベルバーは数秒間、沈黙しました。
そして、これまでに見たこともないような、心底気味の悪いものを見るような目で僕を見つめました。
「……休暇で頭がどうかしたのか? 私は怪盗だ。君の靴下なんていらないよ。それに今は私だって休暇中だ。この名画たちの埃を払うのに忙しいんだよ」
「そこをなんとか! 彼が退屈のあまり、ホテルの配電盤をバラバラにしようとしてるんだ! 彼が暴走する前に、彼の興味を引かなければならない。彼が夢中になることといったら、あなた以外に考えられない」
ベルバーは深くため息をつき、ガウンの襟を整えました。
「断る。私は自分の美学に基づいて行動する。人助けのために盗みをするなんて、私のキャリアに傷がつく」
結局、僕は追い出されました。
「二度と来るな、不愉快だ」という言葉とともに。トボトボと、夕暮れの道を歩いてホテルへ戻りました。
ああ、もう終わりだ。
部屋に入ったら、きっとバラバラになったテレビの部品が床に散乱していて、彼は「真空管の構造について」の講義を始めるだろう……。
ところが、部屋のドアを開けると――
そこには、窓の外を眺めながら、満足そうにニヤリと笑う彼の姿がありました。
「おかえり、助手くん。君がいない間に、実に興味深いことが起きてね」
彼の机の上には、一通のカードが置かれていました。そこには、あの優雅な筆記体でこう書かれていたんです。
『退屈な探偵くんへ。君の愛用する万年筆をいただいた。取り返したければ、今夜零時、桟橋へ来たまえ。――ベルバー』
僕は目を丸くしました。
「ベルバーめ、わざわざ私の休暇を台無しにしに来るとは、粋なことをするじゃないか。しかし、驚いたことに君の靴下もないみたいだ。やつは変態だよ」
探偵は、まるで子供のように目を輝かせて、コートを羽織りました。
その姿を見て、僕は安堵と共に、自分でも呆れるような笑いが込み上げてきました。
結局、僕たちの休暇は「宿敵との追いかけっこ」で終わりました。
でも、まあ。
彼が楽しそうに推理を披露している横顔を見ていたら、これで良かったんだなって、今では思っているんですよ。
……あ、この話、本人には内緒にしておいてくださいね。
僕がベルバーに「お願い」しに行ったなんて知れたら、それこそ一生、ネタにされますから。


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