#591 時喰らいの呪い

ちいさな物語

王都に最初の春の風が吹き抜けた日、凶暴「時喰らい」の首を馬上に下げた騎士団長アルドが黒鉄の門をくぐって帰還した。

胸当ては深く裂け、肩には鋭い爪痕が四本、血はまだ乾ききっていない。それでもアルドは手綱を放さず、部下たちに指示をとばしている。

その場にいた者はみな歓声を上げた。泣く者もいた。

魔獣の討伐に出たまま戻らないアルドたち騎士団をみんな気にかけていたのだ。

幼いころに盗賊から救われた娘、訓練で剣を教わった新兵、騎士団の食堂へ食材を運んでいた市場の老人まで、誰もが英雄の帰還を自分のことのように喜んだ。その夜は国をあげてのお祭り騒ぎとなった。

しかし翌朝、異変は起きた。

初めに違和感をもったのは侍女のマランである。団長の顔がやけにすっきりとして見えたのだ。

「よくおやすみになられましたか? 今朝はずいぶんと顔色がよろしいようですね」

マランはこの違和感をうまく説明できず、当たり障りのないことを言った。

「うむ。ありがとう。おかげでゆっくりと休めたよ」

マランはまた首を傾げた。アルドの声が少し高いような気がしたのだ。

「気のせいかしら?」

しかしこの違和感は、その日アルドを見た誰もが抱いていた。

「アルド騎士団長、今日は少し……お若く見えますね」

最初は戦いの疲れが抜けたせいだと思われていた。

年相応の四十代後半に見えた顔が四十そこそこに見える。その程度の違いだったからだ。魔獣討伐の過酷な旅を終えたのだから、そういうこともあるのだろう。

だが気づくと、アルドの見た目の変化は「気のせい」では済まないほどになっていた。

四十手前に見える。アルドは四十八だ。若く見えるといっても度を越している。

若々しく精悍な顔つきの騎士団長に黄色い声をあげる女たちもいたが、多くの者が「これはただ事ではない」と不安を囁き合った。

部下たちは強引にアルドを宮廷魔術師のもとへと連れて行った。

「どうやら、大勢の人の目に触れるたびに若返っているようです」

宮廷魔術師セレネが青ざめて言った。

「時喰らいは、その最後の一撃で呪いをかけるといわれています。文献によると、これはその呪いの症状に合致します」

セレネの見立て通り、アルドは人の目に触れるたびに少しずつ、しかし確実に若返っていった。

三十代、二十代、十代、そして剣帯がずるりと床に落ちるほど小さくなっていた。

「騎士団長が人に会わないなんてのは無理な話だ」

副団長バランが頭を抱えた。しかしアルドはやわらかそうな頬に笑みを浮かべる。

「そうだな。だが、問題なく仕事はできるぞ」

若返ってもアルドはまるで弱くなるということがなかった。

十歳ほどの姿で大剣を軽々と片手で振るい、模擬戦では大人の騎士三人をまとめて転ばせた。

甲冑も特注の小型のものとなり、遠征先の他国では「子供の姿をした災厄」とまで噂された。

実際、かわいらしい顔でにこりと笑い、次の瞬間には大剣で敵を蹴散らすのだから悪夢である。

しかし王都の者たちは笑ってばかりはいられなかった。

小さなアルドが作戦会議の椅子によじ登るたび、足をぶらぶらさせながら書類に署名するたび、誰もが胸の奥にひやりとした不安を感じていた。

このまま赤子になれば、さすがの団長でも務めは果たせない。いや、さらにはこのまま姿が消えてしまう可能性もある。

しかし当のアルドは平然としている。

「力もそのまま、頭もそのままだ。これはまやかしに違いない。心配をするな」

姿がかわいらしくても、以前のままの豪胆さである。

それでも気がかりで、アルドを慕うものたちが集まり、彼を救う方法を考え始めた。

まず王都では「団長を見つめすぎない令」が出た。これは騎士団が国王に直談判し、国王の勅令として国中に発令された。

敬礼は胸に手を当て、うつむいて行うという独特の方法が取られた。特例中の特例である。

吟遊詩人たちは広場で騎士団長の武勇を歌ったが、その姿については決して触れなかった。

姿を想像することも、「見る」という行為に含まれるかもしれないと、恐れたからだった。

次に仲間たちは呪いの手がかりを求め、時喰らいの巣のあった北方の裂け谷へ向かった。

雪の吹きだまる谷底で、セレネは古い石碑を見つける。そこには、時喰らいに奪われた歳月は「誰かの未来への願い」によって呼び戻せる、と刻まれていた。

セレネは早速その発見を持ち帰って研究を重ねた。

「未来への願い……?」

アルドが、毛布にくるまって首をかしげる。

「難しい顔をするな、団長」

バランが笑う。もはやアルドは上司でありつつ、息子のような見た目になってしまった。

「要するに、先の先まであなたが必要だと、みんなで証明するということだ」

騎士団はセレネの研究成果を町中に広めた。吟遊詩人も歌にした。

やがて人々はアルドへ「未来への願い」を紙にしたためて送り、またあるものは直接アルドへ伝えにやってきた。

「まだ乳飲み子の娘が騎士学校に入る日まで、この町をお守りください」

「北の橋が完成する日までは――」

「来年の麦祭りは必ずご一緒に。いえ、その次も、その次も――」

「団長に孫を自慢するまでは――」

子どもも老人も職人も兵士も、自分と団長との未来を次々に告げに来た。

セレネが告げる。

「呪いは『見られる今』を喰う。でも、それより強く『待たれる明日』があれば、呪いの力は逆行する。遡っていた時の流れはゆるやかになり、やがて止まる」

セレネの言葉を裏付けるように、アルドの見た目は十歳ほどになっていた。

遠く教会の鐘が鳴る。

アルドは少しだけ困ったように笑う。

「参ったな。俺はそんなに先まで、働くことになっているのか」

「そうだとも」

王も、騎士も、市場の老人も声をそろえる。

その後、アルドは以前にも増して他国に恐れられたという。

「時喰らい」の呪いをはねかえし、なお幼い姿のまま戦い続けるという噂が、尾ひれをつけて広まったからだ。

アルド本人は苦笑いしていたが、部下たちは誰もがその噂を肯定していた。

小さな団長の勇ましい姿が、少しだけ誇らしかったのである。

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