僕の夢はシンプルだった。何か一つの道を極めること。
今、目指しているのは散歩の達人。人間の散歩、犬の散歩、どんな散歩でも完璧にこなしたかった。
ある日、究極の散歩道があると噂される森を訪れた。入り口には『あらゆる散歩者を歓迎する』という心躍る看板。
「これは……キタな」
一歩踏み入れた瞬間、僕は肌でびりびりと感じた。柔らかく弾む地面、やさしく流れる空気。なるほど、極めた者にふさわしい道だ。僕はひとり、意気揚々と歩き始めた。
歩き出してすぐ、不思議な光景に出くわした。犬の散歩をする女性、猫を散歩させる老人、さらにはハムスターを散歩させる少女までいる。
「これは……幅広いな……」
この道はやはり深い。まだまだ未履修のことが多すぎる。感心していると、後ろから低い声がした。
「きみ、なかなか良い散歩姿だね」
振り返ると、スーツ姿のダンディな紳士が立っている。
「この散歩道の管理人だ。この道では、あらゆる散歩が認められている。きみは、見たところ、随分と高みを目指しているようだね」
「もちろん、最高の散歩人を目指しています」
僕が言い切ると、紳士は微笑んだ。
「では、この道を進みなさい。究極の散歩がこの先にある」
その言葉に背中を押され、僕はさらに進んだ。周囲の景色は刻々と変わり、まるで散歩者を飽きさせないように工夫されているようだった。
途中、犬が僕の横を歩き始めた。野良犬らしいが、優雅で美しい足取りだ。犬といえどもあなどれない。
「きみも散歩のプロかい?」
犬はにやりと笑った気がした。さすが究極の散歩道だ。
しかし、次第に道は険しくなった。急な坂道、狭い橋、ぐるぐると回る迷路のような道。汗だくになりながら僕は自問した。
「散歩の極みとは一体……?」
僕は自分自身と対話しながらその道を歩き続けた。道の終点には何かがある気がしたからだ。
やがて僕は最奥の広場にたどり着いた。清々しい空気、鳥の声、やさしい風。どこからかせせらぎの音が聞こえてくる。そしてそこにはあの管理人が微笑んで待っていた。
「おめでとう。君は真の散歩人だ。あらゆる状況を歩き切った」
「これで――極めたといえるのでしょうか」
管理人はゆっくりと首を振って、静かに言った。
「どの道でもそうなんだが、極めるということはない。極めたと思ったとき、きみの成長はとまる。これからも心から散歩を楽しめるように心を鍛えるんだ。さあ、ここまでの散歩道を振り返ってごらん」
僕が後ろを見ると、来た道は平凡な一本道になっていた。険しかった道のりは、僕の心の中だけに存在していたらしい。
僕は笑った。散歩道が教えてくれたのは、極みとは目的地ではなく、その過程を楽しむ心そのものだったのだ。
「先生と呼ばせてください」
僕はその場で膝をついた。この人についていけば、散歩の道のいただきに立てる。
だが、管理人氏はまたゆっくりと首を振った。
「きみはもうプロの散歩人だ。私が教えられることはないよ。これからもこの散歩道をつかって邁進しなさい」
理由はわからないが、僕の頬に涙が伝った。
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