#194 片付かない部屋

ちいさな物語

「本当に、ごめんね。たぶん、ひとりじゃ無理だと思って」

そう言って僕を呼んだのは、中学時代からの同級生・美沙だった。学生時代から散らかし魔だった彼女の部屋が、どうしようもなく荒れてきたという。興味本位で訪ねたワンルームは、予想以上の惨状だった。

床が、ない。いや、正確には、物で埋まっていて見えない。

服、紙、箱、お菓子の缶、レゴブロック、何かのパーツ、電池、電池? どれだけ電池があるんだ? え、嘘だろ。まだあるのかMDって……。

コンビニ弁当のゴミとか、汁の残ったカップラーメンの容器、飲みかけのペットボトルのような湿り気のあるものが視界にはなかったので、その点においては安心した。

「これ、全部いるの?」と僕が問うと、美沙は「あはは、まぁ、思い出の品ってことで」とごまかした。

僕は腕まくりをして「まずはこの箱からね」と指さした。中には真っ二つに折れたシャープペン、封の開いていないチョコレート、よれた名札、ハロウィン仕様の猫耳が詰まっていた。

「うわ、懐かしい! それ、高校の文化祭でコスプレしたときの猫耳じゃん! あのときさ、教室をカフェにするって申請したのに、こっそりホラー迷路みたいにして、先生にめっちゃ怒られたんだよね」

僕は笑った。思い出してきた。あのくだらない騒動。でも今、そういったたぐいの笑えるハプニングとは無縁の生活だ。毎日が決まりきった、予定調和な日々だった。

「じゃあこれは?」とチョコレートを持ち上げると、「あ、それね、元カレが別れ際にくれたやつなんだよね、もう賞味期限切れてるけど。あんとき“溶けないうちに食べてね”って言ったくせに、私が泣いたら“冷凍すれば永遠だよ”とか意味わかんないこと言っててさ」

また笑ってしまった。別にたいしたエピソードじゃない。むしろ――何があったのか、よくわからない。でも美沙の語り口は妙に巧みで、ちょっとしたものが舞台装置みたいに感じられてくる。

今度は紙袋の山に手を伸ばすと、一枚のレシートがはらりと落ちた。

「あーー! それ、人生で一番高かったアイスのレシートだ! 800円もすんの! 渋谷で『空気を味わうアイス』ってやつ。味がしなかったんだよ。なんか泣けた。高いのに味がなくて」

どこにでもあるはずのガラクタが、彼女の語りによって一点物のアート作品のようになっていく。それを聞いてるうちに、気がつけば片付け作業などどうでもよくなっていた。僕はすっかり、ガラクタのエピソードトークを楽しみに来た観客だった。

「これとか、絶対捨てていいやつでしょ」

そう言って僕がつまみ上げたのは、芳香剤の空容器だった。蓋がなく、なぜか油性ペンで“王様のにおい”と書かれている。

「それ、思い出すだけで腹よじれるやつ! 中学のとき、男子がふざけて作った『最強の香り』ってやつでさ、理科準備室から謎の液体持ってきて混ぜてたの。匂いが強烈すぎて、校長先生まで嗅いで倒れたっていう……」

「それ、危なくないか」

僕は思わず容器を放った。理科実験室の謎の液体って笑って済むものなのか。

僕らは、完全に作業を放棄していた。床はまだ見えていない。けれど、なんだか不思議と嫌な気分ではなかった。

夕方になり、窓から夕日が差し込む頃、僕は手を止めて言った。

「ねえ、今日、僕は片付けに来たんだよね?」

「え? あ、うん……。でもまあ、楽しかったっしょ?」

「楽しんでどうする」

結局その日は少しも片付かなかったけれど、確かに楽しかった。あの部屋はいつまでも片付かないことだろう。でもそれは本当によくないことなのだろうか。

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