#202 出勤交代制度

ちいさな物語

令和☓☓年の春、日本政府は「出勤交代制度しゅっきんこうたいせいど」を発表した。通称「現代版・参勤交代」。

要約すると、サラリーマンは一年のうち二ヶ月を東京で公務員として働き、残りを会社の地方支社や関係自治体に「詣でる」ように勤務せねばならない、という内容だった。すなわち、企業を江戸時代の「藩」に見立てて、「藩」の仕事と「公」の仕事の両方をこなすのだ。

これには人を流動させることによる日本経済の活性化、過疎地対策等の様々な目論見があった。そして秘密裏に利権関係が働いたとの噂もある。

中小企業は莫大な出費を余儀なくされるため猛反発。しかしそれを見越したように補助金等の救済制度も発表される。

仕上げのように「地方創生の一環として」「心身の健康と視野の拡張のために」――お決まりの美辞麗句が並べられ、制度はあっという間に可決された。

最初は笑い話だった。SNSでは「令和の大名行列」としてコスプレ写真が流行り、出勤交代を「ちょっとしたワーケーション」と受け止める人も多かった。私もその一人だった。

一度目の交代先は、山形の小さな市役所の「地域交流推進室」。本社で営業をしていた私にとっては、穏やかな日々だった。朝は川沿いを散歩し、昼は地元の味噌ラーメン、夜は温泉。業務もどこかのんびりしていて、むしろこのままずっとここにいたいくらいだった。会社の営業所には数回出勤したのみで、ほとんど市役所での業務だった。

だが、二度目の交代から、ままならない現実が見え始める。

赴任先は、長崎のとある小島。行ってみると、通信インフラが弱く、連絡手段はほぼ無線とFAXのみ。住民は数えるほどで、職場も「地元観測センター」という、何を観測しているのかわからない研究施設だった。さすがに会社の営業所もないため、ここではほぼ毎日公務員としての仕事のみだ。

しかも私の仕事は、「空を観察して記録をつけること」。それだけだった。

それが三ヶ月目になると、徐々に睡眠中に奇妙な夢を見るようになった。

夢の中で私は、行列をなして歩いている。周囲の顔はぼやけて見えないが、全員が同じ制服を着て、同じリズムで歩いている。誰も声を発さず、ただただ進む。江戸時代の参勤交代が現代によみがえったら、まさにこんな感じなのかもしれない。起きた後には、妙に体が重かった。

ある夜、施設の資料室で丸秘と書かれたファイルを見つけた。こっそりとと開いてみると、そこには、こう書かれていた。

「交代制度により、定期的な位置の循環が維持されることで、封印のバランスが保たれる。鍵は人流。人の流れが結界を強化する」

封印? 結界? 何のことだ? 慌てて読み進めると、そこにはこうも書かれていた。

「すべての交代者は、知らぬうちに歩いている。現実でも、夢の中でも。この国の結界守として、古き門を巡る。一定の人数がこの儀式に参加していなければ、最後の門が開いてしまう」

そして最後のページには、赤い文字でこう記されていた。

「けして気づいてはならない」

私は背筋が凍った。あの夢の行列。あれはただの夢ではなく、日本の何かを「封じる儀式」の一部だったのか?

以後の出勤交代も行先は過疎地だった。

北海道の無人の研究所。四国の山奥にある閉鎖された学校。九州の廃鉱跡地に設けられた「支所」。どこもインフラが切り離され、人の気配が薄く、そして決まって「空を見ろ」「地面を記録しろ」と言われた。

すでに、制度の真意に気づいている者も少なくないようだった。ただ、皆黙っている。何を話しても、どうせ交代のサイクルが巡ってくる。ならば、気づかぬふりをして、行列に加わるしかない。

東京に戻るたび、街はきらびやかで、表向きは変わらない日常が流れている。だがその足元では、無数の会社員たちが、交代の名のもとに巡回し、知らぬ間に「門」を封じ続けている。

出勤交代制度。それは単なる人事制度ではなく、国が行っている最大級のまじないだった。補助金等の多額出費、後々発生するであろう過疎地のインフラ整備費用を支払ってもなお封じておきたいものとは一体何なのだろうか。

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