#231 水曜日のポケット

ちいさな物語

「水曜日のポケットには、ちょっとした秘密があるのよ」

そう言ったのは、祖母だった。

わたしがまだ小学四年生だったころのことだ。

祖母とわたしは、古い町にある小さな洋館にふたりで暮らしていた。町の人たちはみんなやさしく、毎日がのどかで、でもすこし退屈だった。

だけど、水曜日だけは違った。

わたしの制服のスカート、その右側のポケットの中には、必ず何かが入っているのだ。

月曜にも火曜にも何も入っていない。木曜にも金曜にも入っていない。入っているのは、なぜかいつも水曜日の朝だけ。

最初に気づいたのは、鉛筆だった。使いかけで、木のところが少し焦げている。でも、わたしの筆箱の中の鉛筆とは違った。

次の週には、ボタンが入っていた。見たこともない柄のボタンで、裏に「Y.F.」と彫られていた。そんなブランド、聞いたこともない。

わたしは毎週それを祖母に見せた。祖母は目を細めて、「ふふ、また来たのね」と言うだけで、特に驚く様子もなかった。

「これは、ポケット精霊の仕業ね」

「ぽけっとせいれい?」

「そう。ポケットの中に、世界のどこかの小さな“ひとかけら”を届けてくれる、小さな妖精よ」

祖母がそう言ったとき、わたしは信じた。だって、本当に毎週違うものが入っているんだもの。

ある日、水曜日の朝のポケットには、古びた切符が入っていた。行き先は「モミの森行き」と書かれていて、出発時刻は「いつでも」となっていた。

「行ってみようか」と祖母が言った。

「モミの森なんて、近くにないよ?」

「この切符のいう“モミの森”は、たぶん、ここじゃないどこかよ」

祖母は玄関に置いてある古い傘を持ち、わたしはその手を取った。外は晴れていたけれど、祖母が傘をさすと、なぜか、道の先に森が現れた。

本当に、モミの森だった。濃い緑のとがった葉の間を、小さな光の粒が漂っていた。

わたしたちは森の中を歩いた。切符はふわりと空に浮かび、導くように先を舞っていく。途中でリスがふたりの前を横切り、カエルが草の陰で笛のような声を出した。

森の奥には、小さな木の屋台があった。「交換所」と書かれている。

店番のおじさんはヒゲもじゃで、声もなくただ手を差し出した。祖母はわたしにうなずいて見せた。

わたしは今朝のポケットに入っていた切符を手渡した。するとおじさんは、代わりに銀色のペンダントを渡してくれた。

中には、見たことのない花が押し花になって閉じ込められていた。

「これがなに?」と聞いても、おじさんはにっこり笑うだけ。

「じゃあ、帰ろう」と祖母が言った。

道を戻ると、森はもうなかった。わたしたちはいつもの町に戻っていた。祖母は「今週の水曜日の冒険は、これでおしまい」と言った。

それからも、水曜日のポケットにはいろんなものが入った。

・透明なビー玉(中に小さな魚が泳いでいた)
・金色の鍵(開ける鍵穴はどこにもなかった)
・絵葉書(差出人は“未来のわたし”)

そのたびに、祖母とふたりでちょっとした旅をした。ときには雲の上、ときには湖の底、氷の街にも行ったし、空飛ぶバスにも乗った。

でも、そんな冒険も、ある日ふっと終わった。
祖母が空へと旅立った日の水曜日。ポケットには何も入っていなかった。

それからずっと、わたしの水曜日のポケットは空のままだった。

だけど、何年かたったある朝。ふと制服――じゃなくて、仕事用のスカートの右ポケットに、何かが入っているのを感じた。

取り出してみると、それは小さな木のボタンだった。見覚えがある。

裏を返すと、「Y.F.」と彫られていた。わたしは微笑んだ。

水曜日のポケットが、またひらいた。そしてわたしは、古い傘を手にして、玄関を開ける。

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