「水曜日のポケットには、ちょっとした秘密があるのよ」
そう言ったのは、祖母だった。
わたしがまだ小学四年生だったころのことだ。
祖母とわたしは、古い町にある小さな洋館にふたりで暮らしていた。町の人たちはみんなやさしく、毎日がのどかで、でもすこし退屈だった。
だけど、水曜日だけは違った。
わたしの制服のスカート、その右側のポケットの中には、必ず何かが入っているのだ。
月曜にも火曜にも何も入っていない。木曜にも金曜にも入っていない。入っているのは、なぜかいつも水曜日の朝だけ。
最初に気づいたのは、鉛筆だった。使いかけで、木のところが少し焦げている。でも、わたしの筆箱の中の鉛筆とは違った。
次の週には、ボタンが入っていた。見たこともない柄のボタンで、裏に「Y.F.」と彫られていた。そんなブランド、聞いたこともない。
わたしは毎週それを祖母に見せた。祖母は目を細めて、「ふふ、また来たのね」と言うだけで、特に驚く様子もなかった。
「これは、ポケット精霊の仕業ね」
「ぽけっとせいれい?」
「そう。ポケットの中に、世界のどこかの小さな“ひとかけら”を届けてくれる、小さな妖精よ」
祖母がそう言ったとき、わたしは信じた。だって、本当に毎週違うものが入っているんだもの。
ある日、水曜日の朝のポケットには、古びた切符が入っていた。行き先は「モミの森行き」と書かれていて、出発時刻は「いつでも」となっていた。
「行ってみようか」と祖母が言った。
「モミの森なんて、近くにないよ?」
「この切符のいう“モミの森”は、たぶん、ここじゃないどこかよ」
祖母は玄関に置いてある古い傘を持ち、わたしはその手を取った。外は晴れていたけれど、祖母が傘をさすと、なぜか、道の先に森が現れた。
本当に、モミの森だった。濃い緑のとがった葉の間を、小さな光の粒が漂っていた。
わたしたちは森の中を歩いた。切符はふわりと空に浮かび、導くように先を舞っていく。途中でリスがふたりの前を横切り、カエルが草の陰で笛のような声を出した。
森の奥には、小さな木の屋台があった。「交換所」と書かれている。
店番のおじさんはヒゲもじゃで、声もなくただ手を差し出した。祖母はわたしにうなずいて見せた。
わたしは今朝のポケットに入っていた切符を手渡した。するとおじさんは、代わりに銀色のペンダントを渡してくれた。
中には、見たことのない花が押し花になって閉じ込められていた。
「これがなに?」と聞いても、おじさんはにっこり笑うだけ。
「じゃあ、帰ろう」と祖母が言った。
道を戻ると、森はもうなかった。わたしたちはいつもの町に戻っていた。祖母は「今週の水曜日の冒険は、これでおしまい」と言った。
それからも、水曜日のポケットにはいろんなものが入った。
・透明なビー玉(中に小さな魚が泳いでいた)
・金色の鍵(開ける鍵穴はどこにもなかった)
・絵葉書(差出人は“未来のわたし”)
そのたびに、祖母とふたりでちょっとした旅をした。ときには雲の上、ときには湖の底、氷の街にも行ったし、空飛ぶバスにも乗った。
でも、そんな冒険も、ある日ふっと終わった。
祖母が空へと旅立った日の水曜日。ポケットには何も入っていなかった。
それからずっと、わたしの水曜日のポケットは空のままだった。
だけど、何年かたったある朝。ふと制服――じゃなくて、仕事用のスカートの右ポケットに、何かが入っているのを感じた。
取り出してみると、それは小さな木のボタンだった。見覚えがある。
裏を返すと、「Y.F.」と彫られていた。わたしは微笑んだ。
水曜日のポケットが、またひらいた。そしてわたしは、古い傘を手にして、玄関を開ける。
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