#576 雨を飼う

ちいさな物語

そのペットショップは、路地裏に隠れるように存在していた。

看板には「気象標本・動植物取扱店」と掠れた文字で書かれている。

気象標本とはなんだろう……私は興味本位で店内に足を踏み入れた。

気象標本の例として店主の老婆から手渡されたのは、青白く光る小さなガラス玉のようなものだった。それは「雨の種」なのだという。

「庭の土を少しだけ掘って、これを埋めてください。翌朝には、あなただけの雨が生まれますよ」

老婆は、ひっそりとした声で説明する。

「雨……ですか?」

「ええ、そうです。餌は毎朝、汲みたての水をバケツ一杯。それだけで十分です。ただ、野生のものでございますので、機嫌だけは損ねないようにご注意を」

私は半信半疑のまま種を買うと、自宅の小さな庭にそれを埋めた。

翌朝、目が覚めてカーテンを開けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

私の庭の境界線に沿って、薄いカーテンのような霧が立ち込め、シトシトと銀色の細い雨が降り注いでいたのだ。

塀の向こう側は、抜けるような快晴。

私の庭だけが、まるで世界から切り取られた一枚の銀の絵画のようになっていた。

あの種から孵化した雨を飼い始めて数週間、私はその不思議な生き物——いや、現象にすっかり愛着を覚えていた。

雨は、私が庭に出るとうれしそうに勢いを増す。

手のひらを差し出すと、冷たい雫たちが指の間をくぐり抜け、まるで喉を鳴らす猫のように私の肌を優しく叩くのだ。

しっとりと温かな雫は春の雨のように心地よく、私はよく傘もささずに庭に出た。

朝、バケツに水を汲んで庭の中心に置くと、雨脚が一時的に強まり、ゴクゴクという音を立てて水を吸い上げていく。

空から降るはずのものが、地面から立ち上がる霧と混ざり合い、私の足首にまとわりつく。

その感触は、ひんやりとしていて、それでいて確かな体温のようなものさえ感じさせた。

「今日は少し元気がないのかな」

私が話しかけると、雨はしっとりとした霧雨に姿を変え、私の肩を抱くように包み込んで甘える。

雨は、言葉を持たないが、その降るリズムや、水滴が葉を叩く音の強弱で、私には雨の感情が手に取るように分かった。

雨は、私の独り言を静かに聞き、私の溜息をそっと霧散させてくれた。

近所の人々は、私の庭だけに常に雨が降っているのを不思議がったが、私は特に説明はしなかった。自分だけの秘密の雨を愛していた。

しかし、惨劇は些細な不注意から始まった。その日、私は激しい頭痛で目が覚めた。

ひどい風邪を引いた私は、ふらつく足取りでキッチンへ向かったが、バケツに水を汲もうとすると、関節が痛くて持ち上がらない。

「一日くらい、大丈夫だろう」

私は、窓の外で待っているであろう雨のことを思いながら、そのままベッドに潜り込んだ。

昼過ぎ、轟音で目が覚めた。

それは、穏やかな雨の音ではなかった。

何かが怒り狂い、壁を、窓を、叩き壊そうとする猛獣の咆哮だった。

慌てて窓を開けると、そこにはかつての「優しい雨」の面影など微塵もない、漆黒の嵐が渦巻いていた。

庭の境界線の中だけで、暴風が吹き荒れている。

庭石は粉々に砕け、丹精込めて育てた花々は無残に引きちぎられていた。

雨粒の一つ一つが、まるで礫(つぶて)のような質量を持って窓ガラスに叩きつけられる。それは、空からの恵みというものではなく、暴力だった。

「ごめん、今、ごはんをあげるから!」

私が窓を開けて叫んだ瞬間、室内に冷たい突風が吹き込み、体調の悪い私の体をびしょびしょに濡らした。

その水滴は、針のように鋭く、私の皮膚を刺す。

雨は怒っていた。とても激しく。

忘れられたこと、無視されたことに、これ以上ないほどの悲しみを募らせていた。

庭の狭い空間の中で、稲光が走る。

バリバリという耳を裂くような音がして、小さな庭のシンボルだったハナミズキに雷が落ちた。

幸い炎は上がらなかった。あまりの雨量に、火花は瞬時にかき消され、ただ真っ黒に炭化した樹木が、湯気をあげながらそこに立っているだけだった。

私は恐怖で震えながら、台所からホースを引きずり出し、蛇口を全開にした。

「ごめんよ。好きなだけおあがり」

ホースの先から噴き出す水を、庭の中心へと向ける。

嵐は、私の差し出した水を貪るように飲み込んだ。

水が触れた瞬間、庭の中の気圧が急激に変化し、耳の奥がキーンと痛んだ。

数分後、嵐は徐々に勢いを失っていった。

猛り狂った風はやみ、黒かった雲は白く薄れ、元のシトシトという静かな雨に戻っていく。

庭は、まるで爆撃を受けた後のように荒れ果てていた。

私はずぶ濡れのまま、泥の中に座り込んだ。頭痛はまだ続いている。

雨は、何事もなかったかのように、私の頬を軽く叩いてじゃれついてくる。

その感触は、以前のような「愛らしさ」ではなく、もっと重苦しい、逃れられない「執着」のように感じられた。

それ以来、私は片時も庭を離れることができなくなった。

雨はますます私の感情に敏感になり、私が少しでも外出しようとすると、庭の端から霧を伸ばして私の足を掴もうとする。

雨は、もはや単なるペットではなかった。私の生活を、私の時間を、私の孤独そのものを糧にして、この庭に根を張ってしまったのだ。

今、私は窓辺でこの文章を書いている。

庭では、穏やかで美しい銀色の雨が降っている。一見、平和な光景だ。

しかし、私は知っている。

この雨の下、土の中には、砕かれたバケツや焦げたハナミズキと一緒に、かつて私が持っていた「自由」が深く埋められていることを。

雨は、私の思考が外の世界へ向かうのを嫌うのだ。

私は急いでペンを置き、バケツを手に取る。

私はこれからも、この湿った檻の中で、空の欠片の意のままに生きていくのだろう。

庭の雨が、満足げに窓を濡らしている。

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