#293 永遠のダンスホール

ちいさな物語

蛍光灯が切れかけた部屋で、明かりがチカチカと不規則に点滅していた。

その青白く不安定な光は、部屋の中にいるすべての物を奇妙に歪ませて見せる。薄汚れた壁紙、古いソファー、積み重ねられた雑誌の束――どれもが陰鬱なリズムで瞬いていた。

男はふと立ち上がり、なぜか勢いよくシャツを脱ぎ捨てた。肌を刺すような寒気があったが、なぜか心地良い。

蛍光灯が明滅を繰り返すと、男もそれに合わせて揺れるように体を動かす。

気づくと彼は、体を激しく揺らし、手足を振り回し、まるでダンスホールのフロアに立つように踊り始めていた。

リズムなど存在しない、ただ蛍光灯の光だけが導く不規則なダンスだ。

そのうち、男の視界の中で現実と非現実が曖昧になりはじめた。蛍光灯の光が目に入り込み、脳内で奇妙な幻覚を描き出す。

周囲の家具たちはまるで観客のように見えた。

ソファーは柔らかく拍手を送り、本棚は愉快にステップを踏んでいるように感じられた。

「いいぞ! もっと踊れ!」

どこかからそんな声が聞こえる。

部屋全体が男のダンスを歓迎しているのだ。

男の足元に散らばった雑誌は、奇妙なリズムでパラパラとページをめくり出す。雑誌のページから、文字や写真が自由に飛び出した。

やがて部屋の床がミラーボールのように輝きはじめ、天井はゆっくりと明滅するような星空に変わった。蛍光灯の光が星々のように輝き、男の体を淡い銀色に染め上げる。

気づけば男はひとりではなく、見知らぬダンサーたちが現れ、彼と共に踊っていた。彼らは皆、現実には存在しない幻影だったが、男にとっては心強い仲間に感じられた。

「オーイェー! 最高のダンスパーティーだぜ!」

男は叫び、幻影たちと共にさらに激しく踊った。

やがて男の身体は重力を失い、ふわりと部屋の床に倒れ込む。足元の床は遥か下へと遠ざかり、星空の天井は手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じられた。

蛍光灯が最も激しく明滅したその瞬間、男の前に一つの扉が現れた。

それは青白く光り輝く不思議な扉で、表面には見たこともない幾何学模様が描かれていた。扉は静かに男を招いているようだった。

男はゆっくりと手を伸ばした。

「その扉を開けてしまえば、元には戻れないぞ」

またどこかから囁きが聞こえたが、男の耳にはその声すら心地よく響いた。

扉に触れた瞬間、部屋中が爆発的な光に包まれた。

そして次の瞬間、男は見知らぬ空間に立っていた。

そこは巨大なダンスホールだった。壁一面には煌びやかな鏡が貼られ、天井には無数のミラーボールが回転している。無数の人影が楽しげに踊り狂い、終わらない音楽が流れている。

蛍光灯の部屋とは比べ物にならないほど賑やかで美しい。

「ここはどこだ?」

「君は合格だ。永遠のダンスホールへ招待しよう。レッツダンシングフォーエバー!」

そう言って現れたのは、蛍光灯の部屋で見た幻影たちだった。彼らは微笑みながら男を囲み、手を取り合い、再び激しく踊り出した。

その場所では、男は永遠に疲れない。飽きることもない。ただ楽しく、自由に踊り続けることが許された。

だが、いつしか男の胸に一つの疑問が浮かんだ。

「ここは本当に現実なのか?」

幻影たちは笑って首を振った。

「どっちでもいいだろ。ここにいる間は、ずっと自由さ」

男は一瞬迷ったが、すぐにその思いを振り払った。

今ここで踊ることだけが真実だ、と彼は感じたのだ。

蛍光灯が切れかけた部屋で始まった奇妙なダンスは、こうして終わることのないパーティーへと彼を導いた。

今でも時々、どこかの部屋で蛍光灯がチカチカと明滅するとき、誰かがシャツを脱ぎ捨て、不思議な扉を開ける準備を始めているのかもしれない。

そして、どこかに存在するその永遠のダンスホールには、きっと次のゲストがやってくるのだろう。

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